年中無休で恋心

たのしいおたくライフを送っています。

映画『あのこは貴族』とわたしのマイケル・ジャクソン

映画『あのこは貴族』を観た。素晴らしかった。

見たことのある人や場所の気配、匂いを含んだ微細な空気がずっと流れていて、そのリアリティゆえに、誰もを肯定しているように見えた。

 

anokohakizoku-movie.com

 

必死の大学受験を乗り越えて上京した、地方出身の水原希子さん演じる美紀。東京の良家に生まれた、門脇麦さん演じる華子。ひとりの男性をめぐって引き合わされた二人が、彼を取り合った対決を選ばず、親友にもならず、たまに出会い、すれ違い、だからこそ勇気をもらえる話だった。

「憧れ」や「都市」の象徴のように語られることの多い東京だけど、わたしが好きなのは、色んな階層や色んな文化層が背景にあることを無言のまま了承しあいながら東京で暮らす人の距離感だ。それが映像で表現される発想に感動した。

 

美紀は大学入学式に、身体に馴染まず吊るしのものだと見た目に分かるスーツを着ていた。校門の看板を母親と挟んだ記念撮影は、行事のときにしか写真の被写体になったことのない人がする表情で、カメラマンに笑ってと言われてしまう。自分のアルバムの中に見覚えが痛いほどあった。

いっぽう華子は定期的に家族写真を撮っているので、どんな状況での被写体になっても手の置き方、口角のあげ方、肩の揃え方に迷いがない。適当に投げ槍に選ばれた服として現れたボーダーのトップス、あの生地のハリはきっとアイロンがかかっているかクリーニング帰りだと思う。そういう世界があることは、何となく分かる。

選べない環境、その中でも自分で選んでいるように思わされている自分の(テイストの意味での)趣味。わたしたちの階層とは、経済感覚だけではないところでさえも細やかに分断されているのかもしれない。そこに当たり前に優劣はない。お互いの世界の中の正義や正解を認め合い刺激されながら、自分の世界で生きることに希望があると思っている。それが起こりやすく、肯定してもらえる空気がある東京が好きだと改めて考えた。

 

 

東京を思うときいつも思い出す女の子がいる。お嬢様学校出身の彼女とは、大学時代サークルで出会った。仮に春子ちゃんとする。

春子ちゃんは品の良い小さな声で話し、まっすぐな姿勢で歩き、いつもニコニコして穏やかだった。サークルの予定ができると、ご家族に電話をして許可をとった。持っているノートも教科書もいつもぴっちり端まで綺麗にしてあって、わたしが彼女に触れたら何かを汚してしまうのではないかと感じた。出会った当初、春子ちゃんに何の話をすればいいのか、わたしには検討がつかなかった。 

 

ある日友人と学食へ行くと、わたしは春子ちゃんを発見した。

150人くらい入る昔ながらのつくりの学食の一部は、見た目の派手な内部生の溜まり場になっていた。金髪のギャルに囲まれたかぐや姫のような春子ちゃんの黒髪は、わたしを不安にさせた。

何か事情があって付き合わされているのではと心配になり様子を確認しようと覗き込むと、彼女は3人のギャルとニコニコ笑いながらトランプをしていたのだった。

春子ちゃんはそういう子たちと関わる時困ってしまうだろうと思い込んでいた自分に気が付き、恥じた。わたしたちはどんなに何かが違っても、今目の前を楽しむ方法がいくらでもある。彼女は無意識かもしれないけれど、それを知っているように見えた。わたしは春子ちゃんのことがすっかり大好きになった。

 

春子ちゃん一家は、マイケル・ジャクソンのファンだった。

ピアノとヴァイオリンを習っていた彼女はクラシックしか聴かないものと思っていたので、驚いた。 

今思えばあれは、「This Is It」ツアー発表の2年前のことだった。大学生のわたしのまわりで熱心にマイケル・ジャクソンの話をしている人は他にいなかったし、当時の彼はスキャンダラスな話題を一挙に引き受けるような存在で、彼にまつわる単語を発し嘲笑することがお約束の話題になるような状況でさえあった。そこで彼を好きだと言い続けるのは、どういう心持ちなのだろう。

勝手に心を痛め暗い部分しか目を向けられていなかったわたしに、またもや春子ちゃんは違う世界を教えてくれた。そういう社会的な彼の評価は、彼女には全く関係がなかったのだ。春子ちゃんはテレビを見たことがほとんどなかったので、バラエティ番組や情報番組で彼がどんなふうに扱われているかをよく知らなかった。まっすぐに彼の音楽とダンスと歌声に魅了されていて、「とてもかっこいいの」と言った。

 

一度、一緒にカラオケに行ったことがある。昼間なら行っても良いということになり、夏休みのある日、春子ちゃんと出掛けられるうれしさに弾みながら、小綺麗なカラオケボックスの部屋を予約したのだった。

どういう曲を入れたらいいのか、という素朴な問いに「盛り上がる曲かな?」と誰かが答え、春子ちゃんは1曲目に『Smooth Criminal』を入れた。両手で掴んだマイクで、恥ずかしそうに小さな声で、でも「Aaow!」も逃さず歌った春子ちゃんはとても可愛いかった。もちろん、わたしたちは盛り上がった。

好きなものを信じて、好きな面を照らして見せてくれることは素敵だ。彼女はわたしがバイトをしたりお酒が飲めたり知っている街が多いことを「大人っぽくていいな」と言ってくれたが、彼女ほど強くないわたしが社会の風潮に流されず、マイケル作品に自分の目で触れてときめく機会に恵まれたのは、春子ちゃんのおかげだと思う。

 

わたしと春子ちゃんは、出会ってから今も年賀状を送り合っている。ものぐさで独身のわたしにはそう送るところがないので、ほとんど彼女専用のコミュニケーションツールと化している。毎年春子ちゃんのために年賀状を用意するのは楽しい。

生活にあまりにも交わるところがないので頻繁にやりとりすることはない。それができない自分って何だろうって考えてしまうこともあったけど、春子ちゃんと送り合うお誕生日のLINEや年賀状を見ると、そういう思いはなんだか忘れてしまう。彼女は何枚年賀状を書くんだろう?多分同じことはできない。でもわたしたちはたまに出会い、すれ違い、だから前を向ける。