年中無休で恋心

たのしいおたくライフを送っています。

心に残る推しのツイートで振り返る2020年8月

シンプルに語彙がかわいい。「うみゃい」。

 わかる。

 大事なツイートには署名を入れる推しが好きです。めぐなのは知ってるんだよめぐ

 

 このツイート読んでから毎晩Netflixスラムダンク1話ずつ見て寝てます。推しの発想で安眠してる。すごい情報では?

 

 推しは姿勢がいいので指先までピンとしたポーズが美しいです。このドアップで体幹を感じられるのすごい。

普段から感謝をあらわしてないと出てこない繊細なお母さんの優しさへの気づきに感動して目頭を抑えました。良い娘さんすぎる。お母さまに育児本を出版していただきたいです。

素直で品がよく気が強く、かつ優しいところ、好きです。「とほほ…。」に滲み出るかわいさよ…。念じます。

 勢いがある動的ツイート。早口かわいい。

 

 独特なタイミングでの署名にグッときました。

 

 油断しているタイミングで突然美人を出してくるんですよね…。助かります。

 

 (かわいいのはあなたです)

 

1枚目の写真のポーズのハッピーの体現がすごくないですか?すごい体幹。マイケルジャクソンもびっくりですよ…

 

 

新型コロナウイルス接触確認アプリCOCOAより、2度の陽性者との接触通知がありました。

新型コロナウイルス接触確認アプリCOCOAhttps://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/cocoa_00138.html)より、2度の陽性者との接触通知がありました。東京に住んでいます。今のところ症状なく元気でごはんも美味しいです。

 

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ちなみに「過去14日間の接触」とありますが、すでに過ぎた日付のものも残っています。

アプリ入れておいて良かったと本当に思っているので、共有したいと思って書くことにしました。理由は三点で、生活習慣とアプリをうまく使えば精神衛生上良い状態でコロナと付き合うことができるんじゃないかなあと思います。

 

・無駄に怯えず自分の状態を把握することができる。

・行動記録をとっておけば、その際の感染対策と照らし合わせて今後の判断ができる。

PCR検査を無償で受けることができるようになる。

 

アプリを入れておけば無症状でも検査無料になる動きにもなりましたので、(参考:https://www.mhlw.go.jp/content/000661724.pdf )

このタイミングで書き留めておけたらなと思いました。

 

通知が来るまで

 

わたしはコロナ陽性となると重症化が予想される恐れのある基礎疾患持ちで、さらに重症化しやすいと言われている70代の家族と同居しています。なので、「マジで絶対にかかりたくない」です。足りないところはあると思うけど、気をつけて生活していたほうだと思います。仕事がテレワークになったことは本当にありがたかった。

とはいえ人間なので人間らしい生活はしたいし、いつまでもどこにも行けないように自粛続けるのも今後を考えるとおかしいとも思うので、大きな脅威に感情的に怯えるより、危険がないよう気をつけながら最低限の情勢はチェックして、アプリも使って徐々に社会生活は取り戻そう、と思っていました。

色んな議論があると思いますが、その辺はいったん置いておいて、正しく恐れていたいという前提で書きます。

 

最初の通知があったのは接触があったという日から数日後、2度目は10日以上たってからでした。陽性者登録から通知までのタイムラグがあったので、知らないまま外出していた際に2度目の接触ということです。

通知前から狭い世界で行動していた中でも、起こるんだなあと思います。だから陽性にいつなるか本当にわからないし、陽性になった人が悪いんじゃ本当にないよなあと思います。

接触から通知にも時間がかかるようになっている傾向を見ると、今後通知を受けるケース増えるんじゃないかなあと感じています。

 

行動マイルールを決めていた

 

幸運にも4月以降ほぼテレワークになったわたしは、緊急事態宣言解除後も、うがい手洗い消毒以外に下記行動ルールを決めていました。できるだけシステマチックにしてコロナのことを考えずにいる時間を増やしたかったからです。

予想外のことが起きたりもして徹底できなかったこともありましたが、自分を安心させる材料としては良かったです。

これはわたしにできる生活圏で考えて決めたマイルールなので、行動範囲については諸々調べつつ個人の判断にしていただきたいです。

 

1 交通機関やエレベーターはできるだけ利用しない。乗っても10分以上かかるような遠出はしない。できるだけ歩く(人混みに行かない)。

2 用事を終えたらフラフラせずまっすぐ帰る。

3 施設、店舗に行くときは事前にネットでどんな対策がとられているか確認できるところや知っている場所に限定する。

4 Google mapロケーション履歴をオンにする。

5 日記をつける。

 

こんな感じなので、歯医者行って帰るとかの日々で直接誰かと会って楽しむことはこの数ヶ月ほぼないんですが、友人たちがオンラインで色々誘ってくれ、楽しく過ごせてました。

1.はわたしがテレワークにシフトできているから可能なことなので、読み飛ばしていただいてよいです。「10分以上乗らない」は科学的根拠が特にあるわけでなく、COCOAが「概ね1メートル以内の距離で15分以上の近接した状態にあった場合」に接触通知が来る仕様、かつ接触場所は具体的に分からないものだったので、「電車で接触したならヤバいかも」という不安な状態に私がなりたくないなと思っただけのことです。

 

以前は外出したら寄り道するのが楽しみみたいな生活を送っていたわたしですが、2.のように気をつけてもいたし、日記もつけていたので、仕様に当てはまる接触可能性がある場所が最初の通知は1箇所、2度目は2箇所に絞れました。「あそこだな」と思えるのは、陽性であったとしたら情報シェアできますし、アプリの通知を見た後のメンタル的にも大きい意味がありました。わりとビジュアル的に心身のダメージがある感じだったので…。そこにデータがあることで心がブレないし、冷静に対応できたと思ってます。

 

COCOAとともに生活で気をつけられること

 

ここからはかなり具体的な話になります。

4.ですが、もともと記録をとるのが好きなほうだったわたしは、たまに過去のGoogle map履歴を振り返ったりして遊んでたこともあり、今回活用するといいなーと思っていました。該当日の行動は、スマートフォンを使っている人であればGoogle mapの行動履歴で確認ができます。

https://support.google.com/maps/answer/6258979?co=GENIE.Platform%3DAndroid&hl=ja

 

行った場所や移動時間も確認できるので、ざっくり自分の動きを振り返ることができます。ロケーション履歴設定はしばらくオンにしておくといいのでは。

これに加えて、3.のルールを元に行動し 5.日記をつけていてよかったと思っている理由があります。

現地に行くまでの移動の感染リスクを考えると、外に出る前に対策を知りたい人が多いはずで、ネットで感染対策として何を取り入れているか情報開示する努力をしてくれている所はひいきしよう!という気持ちもあります。

 

その上で、という話ですが、6月以降、感染対策はかなり場所によってグラデーションができたなーと思っています。検温をその場でしているか否か、マスク着用チェックがあるか、消毒が必須かどうか。店側の設置している対策グッズの項目、ルールがあっても、スタッフと来客の動きによって守られる度がふんわりやんわりしてしまうところもあります。例えば入り口に消毒液があっても使わない方の多いスーパーもあるし、店員さんが消毒液持って入り口にいるパターンもある。飲食店でも、マスク外すタイミングとか、一緒にいる人の雰囲気によりけりになるだろうなあと思う。ルールを決めていても人間の行動によって変化するのは仕方ないし、情勢によっても変化していきますよね。

上記のことに気がついてからは現地での対策の温度感で気になることがあったら日記につけていました。行動範囲の中だけでしかわかりませんが、ネットで確認できていたところはその辺りを守る意識も高くいてくださっている印象があります。

 

最初の通知でおそらくここだと思われる一箇所は、施設に入る際に検温があったしマスク着用者以外は中に入れませんでした。消毒も従業員さんが促すタイプで、かなりしっかり対策がとられていた印象。あそこで同席していたなら移ることはまずないだろうと安心できていました。これは精神衛生上かなりよかったです。

 

一方、二度目の通知のうち一箇所は事前にネットで対策確認ができなかった所で、通知が来た日は落ち込みました。一応消毒液が入り口にあるものの低い位置に置かれているだけで、気付いていない人も多かった。マスクしていない人が半数で、集まって団体で会話している人もいたし、ドアは開けていたけど他の窓が開いておらず、換気とは?と思ってしまったんですよね。ああ、気付いた時点で退散したらよかったかなあ…でもそれ社会生活的にちょっとどうなのって感じだよなあ…。どう状況と付き合っていくべきか色々考えた日でした。反省をふまえつつ今後についても考えていきたいと思います。

 

そんなわけで、もう少し自宅篭城期間を過ごすことになります。繰り返しますが今のところ元気です。

わたしは1人遊びのプロなので、架空の外出スケジュールをたて、それに合わせて化粧して着替えてカバンまで持って家事してますよ(ヤバい)。今日はライブハウスに来ている設定なので、推しのブランドのTシャツとショルダーバッグです。推しが教えてくれた落ちにくいアイシャドウをおろしました。水分をきちんととって盛り上がりたいと思います(これから推しの配信ライブのアーカイブを見るので)。元気だなあおい!

みんなそれぞれ健康で元気でいてね。

 

 

本名を知らない女の子の結婚報告で泣いてもいいと思います

大学生の頃、大教室で授業を受けながら、教卓にいる先生とわたしの関係について考えたことがある。

週にひとコマ授業を履修している学生と教員であるという社会的役割から離れて、わたしの行動を記述するとどうだろう。

 

「毎週同じ時間に同じ場所に電車を乗り継いで会いに行き、90分間、彼の話を聞く。」

 

ときどき目線が返ってくることがあるけど、そこに好意や信頼を示す相槌の意味はなく、あんまりジロジロ見るなよという威嚇の意味もない。単に視野の置き場にわたしがいるだけで、わたしは聴き込むフリをしながら眺めていていい。彼はわたしの名前でさえ多分知らないから、この関係が何かの理由でこじれることは今のところない。

いっぽう、わたしはこの3ヶ月でじつに1080分、親友より両親より長い時間彼に視線を向け、話を聞いている。内容は彼が崇高に愛している分野、人生をかけて得たスキル、自信を持って後世に伝えたいと考えている知識。全世界に紹介したい大好きな本や映画。最近好きなお菓子。お酒は酔いすぎ防止のために家では缶で飲むようにしていること。

ああ、このひとのこと好きだなあ、と思う瞬間がある。友達でも知人でもない、当たり前に家族でもない。高校の担任ほど素性を明かしあわないけれど、わたしに明かしてくれている部分は実は、彼にとって自分の意思で得ようとしている自分であり、大切なものなんじゃないだろうか。

大学で授業を受けていただけ。でも確かにあの先生はわたしの中にいた人で、わたしの抱いた感情もあった。友達や恋人みたいにどんなふうな感情の持ち方をするのがふつうなのかという知識の蓄積がなくて表現しにくいだけで、こういうカテゴライズできない関係性は、たくさんある。いちいち向き合ったら生きていくのは結構大変だから、あえてしてないだけなこともある。

 

今年、女性アイドルである推しが結婚することを発表してくれた。

わたしは彼女の結婚後の本名を知るすべがないし、結婚式の有無も結婚記念日もわからないし、彼女が社会とどんなつながりを持っているのかも具体的には知らない。ポイントカードを発行するとき職業欄に何て書くんだろう?

でも、わたしは今日彼女がすごく可愛いスカートを買ったことを知っている。今日聞いていた曲を知っている。入っているサブスクを知っている。どんな文字を書いて、どんな文章を書くか知っている。憧れのアイドルと共演する前には髪を切りに行くような可愛い気持ちを持っていて、夕ご飯に何を食べたかを唐突にクイズにしてファンに出題する愛らしいサービス精神を知っている。歌に悩みながら、それをファンに伝える方法にも気遣いながら、アイドルをしている。そういう彼女がどんな思いで人前に立ち歌を歌っているかは、ちゃんと想像することができる。

それは彼女が人生をかけて彼女自身を手作りしていくために、意思を持って作ってきた部分であり、意思を持って見せてくれている一部であると思う。結婚式でスピーチする親友とは違う形でちゃんと、崇高な彼女の一部を知っていることだとは言えないだろうか、あの先生との90分のように。人にはいろんな出会いかたがあって、感情がある。彼女の結婚を知り、めちゃくちゃ泣いた。

 

唐突だがわたしは去年久しぶりに独り身になり、今後どうやって生きていこうかなあと、めちゃくちゃ現実的な計画と共に自分を立て直している最中だった。推しの結婚発表で、感情を入れ込まないようにしていた根本的ライフプラン問題と向き合わざるを得なくなったことはなかなかにハードであって、気持ちが揺らいでしまった。いつも天使として見ている推しに自分の人生を重ねてしまうなんてことを、わたしもしてしまうんだ、と仰天したし、ショックだった。同時に、推しの結婚は本当にびっくりするほど嬉しかった。

彼女がくれる優しさは、明日から自分も優しくなりたいと思えるような種類の細やかな優しさだった。彼女の歌声で歌われれば、どんなに疲れた朝でも前向きな歌詞を素直に聴けた。推しは明るいが、誰も置いていかない明るさを持っている。ライブでは、どんなに大きい会場でもレスをもらった!と思わせるスーパーアイドル能力がある。

そういう愛し方を見せてくれた彼女の愛情が、個別具体的な人に向けられる時間ができて、そしてそれが彼女にも向けられると信じられる人生を選んでくれたことは、とても素晴らしいことだと思った。なんてきれいな生活だろう。想像するだけでえんえん泣けた。

 

アイドルとファンは、絶対的な距離があるとして描かれることが多い。ファンと恋愛関係になることは「つながり」と呼ばれる。変な用語である。人と人なんだからつながりがあって当然なのに、関係を「つながり」と呼ぶことで、つながってはいけないことが強調される。

ある関係性に生じる感情に名前を授かって救われる感情をもつ人もいると思う。例えばわかりやすく、これは恋だと認めて理解できたことで、これまでうまく流れていかなかったいろんな思考がスッキリして疑問が解けることもあると思う。

同時に、名前であてはめようとすると抜け落ちてしまう感情がある。あてはまらない自分は何なんだろうと迷ってしまったり、その感情を持ってしまったことがいけないのではないかと、責めてしまい、孤立しているように思ってしまう。わたしたちにはもっと細やかで複雑な愛の持ち方だってあるのにね。

推したちが与えてくれるコンテンツによって、いろんな感情を知って、感受性をむきだしでいられる瞬間をこんなに増やしている。そういう世界は美しいと思うし、よく知らない人の尊い一瞬に共感する関係性は、全然珍しいことじゃないし、つながっていないわけないと思う。

 

 

アイドルの結婚は、文脈を知らない人にも届くくらい強いインパクトのある文字になってニュースになった。彼女が所属するのはそういう強いコントラストのあるトピックを持って個性を作るとは対極にあるような平和なグループだったので、わたしは正直、誰にも言わずにこっそり結婚してもいいんじゃないかと思っていた。彼女が好きだから、彼女の結婚を知る全ての人に祝福してもらい、その上で幸せを得てほしいと思ってしまう。こんなに人を幸せにしてくれた彼女がそういう目に合えない世の中なんて嘘だ、と暴力的な思考も生まれてしまう。公にはせず、あたたかい声だけを受けて地に足のついた幸せを受け取っていたほうがよかったんじゃないかと考えたこともある。

 

でも実際に結婚を報告してくれたことで、それが「ずっとアイドルを続ける」を具体的に行動で示す、今考えられる唯一の行動なのかもしれないと気付いた。大きなライフイベントを迎えて、1人の人生を負ってた頃から変化する生活になっても、わたしたちの前にいたいという宣言。信じるほかない。そういう彼女の報告に、わたしは個人の感情と彼女の意思をまぜこぜにせずにしたいと思った。わたしはわたしのままで彼女のことが好きで、そして彼女を見ながらちゃんと自分も生きて幸せでいたい。

 

 

彼女が大切にしているグループが今日、また誕生日を迎えた。わたしは本当にうれしいし、特別な日に買うのはケーキかお酒か、お花にしようか、ウキウキして過ごした。家族でも親友でもない人のおかげで、泣いたり笑ったりできる。そういう日々は参照できる感情や名前がないから迷うこともあるけれど、今日も推しはとてもかわいいところを増やしてくれていて最高だし、それを発見したわたしも最高で、この関係に名前はなくても絶対に確かなものだと思う。今日も推しが好きです。おめでとう。