年中無休で恋心

たのしいおたくライフを送っています。

2022年ベスト映画

楳図かずおが「恐怖」のことを、進化の中で人間のDNAに刻まれた警告のサインだと語っていた([時代の証言者]怖い!は生きる力 楳図かずお 86<1>恐怖マンガ 子供のため : 読売新聞)。災害を逃れ、動物から身を守り、飢えをしのぎ、人間の知恵は怖さをきっかけに進化をしているわけだから、人間には恐怖が必要だと言われれば納得する。便利で洗練されて安全な都会で生きてきた現代人にとって「怖い」という感覚は、知恵のおかげでもう日常的には感じることが少ない。ホラージャンルのドラマや恐怖漫画からの想像力だけで構成されているとすれば、ちゃんとそれを知覚できる想像力を持っておくために、作品との出会いは必要だ。

 

おそらくそれに似た、想像力だけで構成され得る感覚は、怖さに限らない。

 

コロナ禍になってから映画を観る習慣ができ、かたっぱしから人の勧めを観るところから始めた鑑賞にもやっと好みみたいなものが見えた。それは自分の体験したことのない感覚、あるいは自分ごとであったのに無視してきた感覚を丁寧に取り出して、ひとつひとつ分解して、順を追って見せてくれる作品たちだった。映画について歴史的観点や潮流をふまえた作品評のようなものは残せないけれど、映画鑑賞をとおして見つけ出してきた感覚を書き残しておきたく、こうした時間を与えてくれた作品たちをベスト映画として一覧にしたい。

 



11位 そばかす

どうしても削れず11位を挙げてしまうくらい自分ごとの話だった『そばかす』。他人に恋愛感情を抱かない女性が、周囲と向き合いながら自分自身を見つめる姿を描いたドラマ。

notheroinemovies.com

 

木暮(伊島空)の働くラーメン屋で営業後二人で過ごし、佳純(三浦透子が木暮に教えてもらった麺湯切りを練習しながら、ひとり楽しそうに帰り道を歩くシーンが大好きだった。わたしも好きな友だちと会った帰りにああいう行動をとる。

 

誰かに対するときめきを恋と言われるたび、もやもやと切ない気持ちになった。いつの間にだか恋の話ばかりになった女の子たちの中に居にくくなっていった。あれはどういうことだったんだろうなと考えるのも困難で、困難なままなんとかやっていこうとしていた部分を、ちゃんと面白く読み解いてもらえた気持ちになった。誰かに対する親密な気持ちが恋愛と交わらずとも尊い、上下がない愛情としてもらえたことがとても嬉しかった。

ここまでの部分でもかなり好きだったけれど、「恋愛や結婚に価値観を置いていないことと、恋愛感情を誰にも持たないことは違うことである」と自然と頭が整理され、分かった!となる感覚が訪れ痺れた。そのすれ違いの微細さに人への思いやりがあった。 作中の笑いについてもとても優しく捉えれていて、色んな感情を自由に持て、居場所をもらえるようだ。

アサダアツシさん脚本と知って公開前から楽しみにしてたけど、想像もできない鑑賞後の感覚、こんなに心が解放されるような作品で幸せだった。佳純と、真帆と、友だちになりたい。大人になってから人とどう友だちになるか、とか、日常で置いてけぼりにしてた色んなことが過ぎった。

 

10位 ベイビー・ブローカー

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赤ちゃんポストを巡る物語を描く、是枝裕和監督の『ベイビー・ブローカー』。

借金に追われるサンヒョン(ソン・ガンホ)と、赤ちゃんポストのある施設で働く児童養護施設出身のドンス(カン・ドンウォン)の裏稼業は赤ちゃんを売るブローカー。ある晩、2人は若い女、ソヨン(イ・ジウン)が赤ちゃんポストに預けた赤ん坊をこっそりと連れ去る。しかし、翌日思い直して戻ってきたソヨンが警察に通報しようとしたため、2人は仕方なく赤ちゃんを連れ出したことを白状する。成り行きから彼らと共に養父母探しの旅に出ることになる。偶然居合わせた人たちが家族になっていく、ある種のロードムービー

 

大所帯で過ごすホテルの夜、雨が降りそうだから傘を持っていったらと仲間に声を掛けるシーンがたまらなかった。ああ、あれは優しさをうまく伝えられなかったり、優しさをうまく受け取れなかった経験のある人にはきっとわかるすれ違いだ。提案された人物は、傘を持たずに笑って出かけた。何の意図もなく優しくされたことがないから「ありがとう」と傘を持つことができない。変な遠慮の仕方をしてしまい、受け取ることが優しさだと理解できない。人は生まれながらに優しくても、優しさをどう具体的な行動にすれば良いのかは生まれたままでは分からない。それは覚えておくべきことだと思った。

人に大事にされることに慣れない皆が優しい行為を探る様子が映る美しい映画で、そこに希望があるのが良い。

 

9位 シラノ

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すぐれた詩を書く才能を持つフランス軍きっての騎士シラノ(ピーター・ディンクレイジ)は外見に自信が持てず、ロクサーヌに恋心を告げられずにいた。そんな中ロクサーヌはシラノと同じ隊のクリスチャン(ケルヴィン・ハリソン・Jr)に惹かれていた。それを知ったシラノは彼らの仲立ちをするため、クリスチャンに代わって自身の思いを込めたラブレターをロクサーヌに書くことになる。

 

10年くらいになるアイドルおたく人生を振り返ると「触れられない相手だからこそできる、やりすぎる愛」に心当たりがありすぎて、わたしの人生もこんなに壮大なドラマだったのかと勘違いした。まあわたしなんてせいぜいライブがある時に感想を手紙にし、日常的にはTwitterで推しにリプライ書いたり推しのよいところをツイートするくらいなものだ。シラノは戦地から毎日手紙を書くんだからはっきり言ってレベルが違う。

 

言葉と手紙のことをとても大切に思っているので、人生の根幹のテーマにさえ触れるようで色々思うことがあったけど、それがどうでもよくなるくらいにロクサーヌ役のヘイリー・ベネットが可愛い。誰かに求められる女性像でもなく、自律的で、自然に現代の自分のまま感情移入できる女の子であると同時に、手紙に喜び舞い踊る姿があまりにもキュート。夢のように可愛い。

17世紀フランスを舞台にした美術、衣装、ミュージカル要素、どれもが煌びやかすぎずに洗練されているのも、シラノの心と言葉を現代の物語として読み取れるようになっていて品が良い。

 

8位 さかなのこ

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沖田修一監督『さかなのこ』。幼い頃から魚が大好きで、学校の勉強や日常のことは置いて魚ことばかりに打ち込む。現在は研究者・イラストレーター としての活動で知られるさかなクンの半生を描いた映画。

好きなことを貫くキュートでコミカルな人生の側面をさらっても、人とは違う生き方を選ぶ人と「共にあること、共に生きること」とはどういうことなのかを考える視点でも、どちらで観てもいいし、どっちにも寄っていないのがとても好きなところ。『佐々木、イン、マイマイン』で高校生の頃自分のヒーローだった愉快な男・佐々木は心の中に生きる形で存在したけど、さかなのこではみんなのヒーロー・さかなクンことミー坊はずっとそこにいる。

 

あまりにも良過ぎて逆に細かいところの話しかできないのだけれど、ミー坊と出会って心ほぐれてゆくヤンキーたちが大好きだった。物語は多様で無垢で、時折あまりにもさらっと残酷で挫けそうになるけど、彼らを見てると全員なにかの主人公だったことを思い出せる。正直観るまでにかなりノイズがある作品だと思うのだけれど、口コミでちゃんと広がってくれたおかげで観られた。本当によかった。

 

7位 スペンサー ダイアナの決意

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撮影監督が『燃ゆる女の肖像』のクレア・マトンと知り期待したけど想像以上、美しい瞬間しか撮れない方なのかなと思うほど。 寓話であるとの註釈から始まる本編はダイアナの心情に集中していて、彼女の苦しみと錯乱に没入する。現実と幻想が入り混じる映像は、酔う人もいるかもしれないくらいセンセーショナル。

特に凄かったのは、あることをきっかけにパールの入ったスープを飲むシーン。夕食、式典、細かく決まっている用意された衣装を着なければならないことを拒み、アクセサリーとドレスをどう組み合わせようか、衣装係と話しあって決めようとするダイアナ。彼女がピスタチオ色のポタージュに浮かぶ大粒のパールを掬うスプーン。狂気が美しさと隣り合う色彩に、ダイアナの凛とした姿勢に裏付けられた美的感覚を圧倒されながら感じられた。驚きと共に励ましをくれるシーン達に震えっぱなしだった。

 

実在する人物、それも圧倒的な人物が冠にありながらもこの映画が寓話で、リアリズムと離れたところにあるというところも素晴らしい。もう女性たちは閉じ込められたり意味のないルールに縛られたりはしない、と宣言しているよう。

 

それでいうと、セリーヌ・シアマ監督『秘密の森の、その向こう』とても好きな映画だった。

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わたしが生まれる前の母は、どんな人だったんだろう。母という存在になってしまうその人と、まるで姉妹になれるのは希望的。ケアの描かれ方、女性として世代を紡ぐ事、『燃ゆる女の肖像』にも通じる思想のあるアプローチ。

 

 

6位 わたしは最悪。

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『わたしは最悪。』!タイトルを見返すだけで心躍ってしまう。

30歳という節目を迎えたユリヤ(レナーテ・レインスベ)。いくつもの才能を無駄にしてきた彼女は、いまだ人生の方向性が定まらずにいた。年上の恋人、パーティーで知り合った若い男、恋愛に身をゆだねながら自分を見つけ出そうとするが…というお話。

 

わたしの人生なのに傍観者で脇役しか演じられない、何かが違う、と引っかかることに身体が抗えない主人公ユリヤ。「もっと圧倒的な才能や個性や人生でないとダメなのではないか?」は現代的な問いだと思う。もっと生命維持に必死だった時代、もっと考える暇がなかった時代の問いしか前人たちは知らないし、刷り込まれていないから、まだ見ぬ現代を生き抜くモヤモヤを言語化するまでには時間がかかってしまう。今の状況へのちょっとした違和感に折り合いを付けていくことを成長、としてきた女の子たちへの応援歌みたいだ。大好き。

 

この映画と近しいところにあって挙げられなかったけれど『セイント・フランシス』も好きだった。

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レズビアンカップルの元で育つ6歳の女の子のお世話をするひと夏のお話。「何者かにならなきゃいけない」何となくの時代的圧迫感にコミカルに応えていってくれる。30代女性の妊娠、中絶、生理、産後鬱をめぐるリアルとモラトリアムな気持ちが、物語の点としてでなく日常として物語ってくれるのが心地よい。

 

5位 ケイコ 目を澄ませて

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生まれつきの聴覚障害で両耳とも聞こえないケイコ(岸井ゆきの)は、プロボクサーとしてリングに立ち続ける。危険な行為をいつまで続けるのかと問いかけられること、勝負への不安、言えない思いが積み重なってゆく。

 

先行上映の会に立ち会うことができ、原案のボクサー小笠原恵子さんがサプライズ登壇。聴覚障害をもつ小笠原さんは「(字幕がないから)邦画が観られない。初めて素晴らしいと思った」と。想像できない世界が一言で伝わり、岸井ゆきのさんも涙ぐんでらして、こういうことを起こす映画の強さを感じた一瞬だった。

劇中のケイコは耳が聞こえず話さないといったことを考慮せずとも寡黙で思慮深い。わたしはボクシングを見ていてボクサーを美しいと何度も思うのだけれど、人を殴るという気持ちが、これまでどうしても分からずにいた。そこに焦点はないんだということを映画の中で知った。ボクサーはなぜ人を殴るのか、殴る気持ちがないと危険なのはなぜなのか、葛藤の中にあることが静かな世界の中で確かに感じられた。

16mmフィルムの質感も美しく、目しか映らなくてもボクサーとわかる岸井ゆきのさんがとにかく素晴らしい。

 

4位 THE FIRST SLAM DUNK

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わたしすっごい運動音痴なんですよね。だからこの映画で初めてドリブルをしたり、ドリブルで人を抜かしたり、思わぬところから人が出てくる体験をしました。ハイタッチしたい気持ちとかも初めてわかる気がした。すごい。

 

3位 わたし達はおとな

 

デザインの勉強をする大学生の優実(木竜麻生)には、チラシデザインをきっかけに知り合った演劇サークルに所属する直哉(藤原季節)という恋人がいるが、ある理由のせいで妊娠をなかなか言い出せない。やっと打ち明けるも、その事実を受け止めようとするほどすれ違ってゆく。直哉と優実の暮らしを覗き見るような恋愛映画。

 

わたしには子どもに関する倫理観に地雷が細かくあり、久しぶりに思い出してあらすじを書こうとするだけで気持ちがきつい。それを置いても素晴らしい名作だと思うんだけど注釈付きで観ないと傷つきます。

笑っていいのか悪いのか、扱いにくい人物像のリアリティ。誰かを好きというシンプルな感情も、瞬間ごとに自分優位の関係にしようもしたり、何か隠したり、グラデーションであることに自覚的になってゆく。

特に会話の中での「質問」の扱われ方は印象的。純粋に疑問を解消しようとするのはもちろん、 話順を操る側に立つことにより、相手との関係性をコントロールしようともできるのだと思う。 加藤拓也さんの脚本は、こういう人の無意識で構築されているルールの怖さに気付かされる。

 

藤原季節の「それらしきポーズをするのがやたらうまい男」感、全身から溢れ出てて天晴れ。たぶんミュートで観てもわかる、話半分でコミュニケーションをとる人の感じ。そして絶対好きになってしまうビジュアル。ほんとに嫌いです(役の話です)。
木竜麻生さんも、大学生のときちょっと(すごく意地悪な言い方だけど、ちょっと、というのがミソ)付き合ってみたい子として夢が詰まりすぎてる服装、顔をしているんだなあ……あーなるほどねこういう子、ああ……だよね……という感想になる。
衣装、美術、ロケ地、全て素晴らしい。微細なところの話もぜひ聞いてみたい映画。
 

色々書いて好きなのか嫌いなのか混乱するけどラストが良い。主人公にはなれなくても、日常は美しい。精神的グロ大名作。

 

 

2位 こちらあみ子

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小学校5年生の風変わりな少女あみ子。書道教室を営む母、優しい父、しっかりした兄、憧れの男の子。平和な毎日だったがあまりにも心や衝動に素直なあみ子が起こす出来事が積み重なり、少しずつ周囲との生活が変わってゆく。

あらすじを物語ると哀しさばかりが浮きだされていくけれど、映像が楽しくて、裸足で木製の床を初めて走ったときみたいな気持ちよさがあった。匂いや音や声がする。子どもの頃に感じた手触りのちゃんとある、五感とともにある世界をもう一度見せてくれる。蟹とかにむさぼりついて世界の感触をわたしも取り戻したい。

 

子どもや自然をそのまま閉じ込めてあるのにちゃんと脚本があり、とにかくどう撮っているのかさっぱり分からない。何度も、こんなに完璧なことがあるのかなと思うようなものが映っていた。

 

1位 裸足で鳴らしてみせろ

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『裸足で鳴らしてみせろ』のことを思い出しては気が緩んだり緊張したりして涙が出そうになる。初めて観た日、本当に何が何だかわからず感動した。個人にあてて作品を勧めることをしてこなかった自分が、観に行ってほしいと今年唯一伝えた一本。いちばん感覚的なことを与えてくれた映画。

父の不用品回収会社で働く直己(佐々木詩音)と、市民プールでアルバイトしながら目の不自由な養母の美鳥(風吹ジュン)と暮らす槙(諏訪珠理)。ふたりは美鳥の夢をかなえるため、世界旅行をしている程で各地の音声を届けようと企てる。サハラ砂漠イグアスの滝など各地の名所の音を記録していく中、互いにひかれながらも触れ合うことができない。言葉にできない思いは、じゃれ合いから暴力的な格闘へとエスカレートしていく。

 

誰かに好かれるためのテクニックが溢れ、愛を掴むことがまるで方程式みたいに語られるこの世界で、 そもそも愛は世界から求められる形に収束しなくてもいいはずだと気づくには勇気がいる。

結婚しなくても良いし、恋愛をしなくても良いし、友だちや家族と無理に一緒にいなくても良い。すごく好きな他人がいて良いし、大切な人と一緒に暮らさなくても良いし、それぞれの愛し方があって良い。抽象度を上げてシンプルな文字にすればその倫理観は何のことはなく当たり前にそう思えるが、その倫理観を日常の話に落としこむことは実はとても難しい。独身を貫くわたしは急にそのことを小馬鹿にするステレオタイプを投げかけられ驚く瞬間がある。相手は世間的なおじさんではなく、同じ時代に生きていて、好きだと思うところが多い同性であることは少なくない。大人になれば誰かひとりと連れ合うことが正しい形であるように見えてしまうのだと思うし、何もないところから愛の話を考えはじめるにはわたしたちはあまりにも忙しい。だからこうして、糸をほどき直してくれる映画に出会うことは幸せだ。

 

誰かに触れたいと思うことを自分の中でどう整理すればいいか分からない、そこから始まっても良いんだよね。だって言えないよ触れたいなんて、勝手にゲームを始めてタッチしたり、話につっこむところを見つけてバチンとしたり、言い訳がないと触れるなんて正気なままでできるわけない。

愛や夢といった触れられないものを知らず、触れられるものしか信用できない孤独を抱えている男の子が抱えたはじめての気持ち、人に触れたくなってしまった自分の心をうまく発散できない葛藤に共感してわんわん泣いた。ああ、ものすごく透明な心に戻されてゆく。泣く映画が良いわけではないと思うけど、これを観て泣くことが必要な人がいると思う。

 

全体を流れる青の色彩、二人のいる画がものすごく映画的で綺麗なところも手放しに素晴らしい。諏訪珠理さんは裸足の足が写るだけで憧れの男の子の説得力があるし、佐々木詩音さんはすごく線が細く繊細そうで、どこか狂気めくというか、どうなるか分からない感じが同居していた。

触れたいという感情の行方さえ模索する純粋な彼らが守られますように。わたしの中ではクィア映画の最高傑作。工藤梨穂監督の今後が本当に楽しみ。

 

 

他にも特筆すべき好きな映画がたくさんあったので、断片的にメモを残したい。

 

その他好きだった映画たち

中村屋酒店の兄弟』

nakamurayasaketennokyoudai.com

自分の家族観との違いを見つめすぎず通り過ぎてゆくことも許してくれる家族の映画、どこかひとつでも触れるところが違ったらきっと伝わることが変わってしまうだろう丁寧な兄弟描写が大好きだった。ブログも書いた。

door-knock.hatenadiary.jp

 

『愛なのに』

lr15-movie.com

城定秀夫監督が監督、今泉力也監督が脚本。最高に面白いので「最高です」だけで勧められるのが良い。色々勇気がなくて感想が詳しく書けないが城定監督の『ビリーバーズ』も最高だった。

believers-movie2022.com

 

『恋は光』

happinet-phantom.com

ファーストカットから素晴らしくて、ずっと大好きだなと思いながら没入した青春映画。「好き」って感情はなんだろう。恋とは。大人になりそれを言語化することを疎ましいと思われている気がして蓋をしていたかもしれない、丁寧に紡いでくれていて嬉しい。

 

『誰かの花』

g-film.net

2021年から、罪とはいったいなんだろうかと問う作品が多くリリースされていたと思う。本作のテーマは「善意から生まれる罪」で、その先に救いがあるのかを見守ることができる。好きだったなあ。

 

『愛について語るときにイケダの語ること』

ikedakataru.movie

四肢軟骨無形成症で身長100センチ、イケダさんのセルフドキュメンタリー。自立していること、おもしろく生きることへの異常な執念、明るさ、イケダさんが好きになる。かっこいい。

 

『ライフ・ウィズ・ミュージック』

www.flag-pictures.co.jp

自閉症を持つ少女ミュージックに見えているカラフルな世界、音楽パートが可愛い!アルコール依存症と闘うズー、近隣の人たちのラインを引いた助け合い、関係性の構築もとても好印象。

 

スワンソング

swansong-movie.jp

ゲイである自分は家族を作って自分の記憶を繋げないことをぽつりと話してたけど、思わぬ形で遠くで自分の存在が影響を与えていたことに気付くとことか泣いちゃう。ウド・キアーのゴージャスさ!

 

『辻占恋慕』

tsujiurarenbo.com

30歳を過ぎ、夢のサイズへの諦めがつかなさと闘ったり、闘うふりしてごまかしたりしてしまう全ての表現者とその愛すべきおたくたちに捧げたい。ライブハウスでSSWがチェキをやる葛藤が、アイドルの対バンを観てきた当事者にも不自然さがない再現性。

 

 

『冬薔薇』

www.fuyusoubi.jp

自分にも人にも向き合えないまま、業だけが滲み出てしまう主人公と港町の人と風景の温度感が儚くて綺麗で素晴らしい。映画館の体験ってこうだなって思い出しました。 伊藤健太郎さんへの当て書きされたという脚本すごすぎて…愛されてるんだろうなぁ。

 

『メタモルフォーゼの縁側』

metamor-movie.jp

何かをただ好きであることを互いに肯定しあうことがこんなに素敵な出来事であることを、たくさん知っていてほしいね...認め合いたい。 芦田愛菜さん、ずっとスターなのに、何かになれない気持ちのことをなんであんなに分かるんだろう。すごい誠実さ。

 

実質1位の映画『ジム』

山本起也監督のデビュー作・ドキュメンタリー映画『ジム』を観る機会に恵まれたのは、何といってもアンダーラインを引いておきたい出来事。

鑑賞作品は新作映画 76本 旧作映画 124本 合計200本の2022年、新作という括りを取っ払ったら第1位は圧倒的に『ジム』。

movie.jorudan.co.jp

 

 

勝負の世界にいても、人生に関わる決着だけは自然にはついてくれない現実。それでも何かを見つけようとするボクサーたちの少ない言葉、目が綺麗。 自分が何になりたいのか、どう在りたいのかどこか問われるような毎日に、立ち返るための風景を与えてくれるような映画だった。

 

劇中で朗読される一節「皆、見せ場が欲しいのである」

勝ちたい気持ちがなくなったのかの問いかけに対する「忘れてるだけかもしれないじゃないですか」

突き刺さる言葉が溢れていて、多分に影響を受けた。

後楽園ホールの外階段で試合前に練習をするボクサーの背中と、そこから見える後楽園パラシュートのカットが鮮烈。感情の揺れと胃の浮き上がってくるような緊張がひどく乗り移ってくるようで、ちょっと観たことないシーンだった。スクリーンで観たい作品、ぜひまた機会がほしい。

 

本作は約20年前の作品だけれど、配信や販売のない本作が自主上映会で鑑賞が叶った。わたしにとっては期待の新作だったわけで、実質1位です。

映画はこうして時を超えて出会っていけるのだなと経験できた2022年、これからも映画と出会える感覚や経験を大切にできたら。

 

 

映画『中村屋酒店の兄弟』に寄せて ーわたしは旧劇場版エヴァンゲリオンが観られない

20歳くらいの頃、確かアニメの再放送を観たかなにかで、唐突に『新世紀エヴァンゲリオン』にハマった。

その心的世界と戦闘シーンの格好良さ、キャラクターに魅せられ一気にアニメを見切ったものの、問題が立ちはだかった。わたしは小さい頃から輪ゴムを指で広げられないほどのビビリで怖がりであり、特にグロ描写にはめっぽう弱い。続きが観たいが、劇場版『Air / まごころを、君に』は心がえぐられるほどグロい、という噂だ。わたしは観られるだろうかと真っ先に相談した相手は弟だった。

 

弟は、怖いぐらいに優しい男の子だ。

漫画やアニメ知識が豊富だが、それまで全くといっていいほどそれらのコンテンツに触れていない唐突な姉の相談に嫌な顔ひとつせず、かつ必要以上のことを言わないで、わたしの気持ちを尊重し提案してくれた。

「絶対に観た方がいいと思う。でも○○さんには確かにキツイかもしれないから、一緒に観よう」

「僕はもう観てるから、心の準備が必要なところで合図するね。やばそうなら下向いてくれれば何が起きてるか説明するし、心配いらないと思う」

「ちなみにだけど、キャラクターは誰が好き?」

 

後日時間を合わせてリビングに集まり、ソファで横並びになって『旧劇場版エヴァンゲリオン』と呼ばれるそれを観た。どことなく楽しそうな弟は何も言わず気配だけを添えてくれ、本当にわたしが目を覆いたくなるシーンの時だけ、ひと呼吸置けるくらいのタイミングで「気をつけて」と言ってくれた。

没入しながらも心のダメージを最小に抑えられたのは、紛れもなく彼のおかげである(余談だが、アスカが好きなわたしにとって、好きなキャラクターを聞いた彼の質問は見事で絶妙だった)。

 

その年のわたしの誕生日、弟はプラモデルをプレゼントしてくれた。大きな箱を開けると中身がなく、驚くわたしを置いてニコニコ部屋を出ていき、「じゃーん」と奥から持ってきてくれたのは、組み立て済みでぴかぴかのエヴァンゲリオン初号機だった。組み立てたのはもちろん弟で、シールを貼るおいしいところだけ残してくれていた。

彼は特に何も言わないが、姉がいっちょまえにプラモデルへの憧れを持ったアニメ初心者かつ、あまりにも手先が不器用であることを考慮してくれていたのだと思う。

 

 

兄弟はいる?どんな人?と訊かれた時にわたしは大抵この話をする。こんな言い方をしてしまっては何だが、取り立てて語れるエピソードがこれしかないからだ。

 

 

コツコツした努力を厭わない品行方正な弟は、自分にはひっくり返ってもできないことばかりができ、育っていくほどに共通の話題が減った。たまに通学時間が一緒になったが、歩きながらでも単語帳を開いている彼の背を見守り、歩調を調整して別の車両に乗った。多分向こうも気付いていたんだろうと思うが、指摘されたことはない。

昔から静かに尊敬していて、発言や行動を刺激に「この人はやっぱり一番すごい」と思うことがある。変にそれをドラマチックにしたり、バカ可愛がるような言い方をするしか伝えようがない距離感になったのはいつ頃からだろう。離れて暮らす今は余計に、1人になったときどんな顔をしているのか分からない。

きっと後ろめたいのだ。今更二人っきりにされたら、困って世間話をして、お酒を持ち出すだろう。いつの間にか、そんな気まずさもそれはそれで楽しめるような大人になった。思えば、わたしが彼に教えてあげられたことなんて、彼より3年早くに飲めるようになったお酒くらいなものかもしれない。

 

自分のお金で行ける居酒屋の日本酒は酔うから飲まないほうがいいよ。あと、ピッチャーは頼まないで。色んな種類を一度に飲まずに帰ってくること。お酒は美味しいものを、家で覚えたほうがいいから。

お世話になっている近所の酒屋で勧められ、張り切って用意しておいた大吟醸。勉強熱心な弟は酔いながら机で交わされるような情報もメモしてノートなんか作るもんだから、すぐに知識が抜かれるのも当然である。あっという間に、家族の誕生日に「○○さんにぴったりなワイン」をどこからか仕入れてくるようになった。………ワイン?

やっぱりわたしに教えられることなんてひとつもないし、いつだってすれ違う。

 

 

 

映画『中村屋酒店の兄弟』の中村兄弟を観ながら、わたしはこの少ない思い出で彼を語るあまり、もう彼と並ぶことを諦めてしまっているのかもしれないなと気付き、突然感情的になった。

相手の全部は肯定できない自分、兄弟だからバレてしまう優しいかけひき。「兄弟」特有の距離に何があるのかを、こんなに丁寧に追ったことはない。

どこかひとつでも触れるところが違ったらきっと伝わることが変わってしまうだろう丁寧さでそれを見せることに、こんなに意味があるのだと伝えてくれる行為そのものが優しい作品だった。冒頭書いたような記憶が、映画を見ながら鮮烈に呼び覚まされる。

 

nakamurayasaketennokyoudai.com

 

45分間。中編と呼ばれる長さのこの映画は、びっくりするほど物語が静かで説明も少ない。でも何も足りないものがない気がして、その存在ごと、兄弟のようだとも言えるかもしれない。

 

内容はタイトルの通り、酒屋に生まれた兄弟の話だ。ポスターには店先で並んだ兄弟の写真が採用されている。

筆文字で書かれた看板を下げる中村屋酒店は昔ながらの町の酒屋で、田舎町にて営まれているように見える。木枠のガラス引き戸には赤い「たばこ」のシール。立てかけてある地酒ののぼり。手書きの「しぼりたて酒粕」の短冊。店内にはキリンの冷蔵ショーケース。仕事の前に立ち寄る人の缶コーヒー、帰省する家族のために用意しておく瓶ビール。店の奥では、店主が生活しているのだろう。店先の写真だけで、奥行きを感じる。前掛けを腰に縛り店頭に立つ人がいれば、それはもう良い酒屋に違いない。物語が起こる余白がある。

 

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https://www.cinequinto.com/parco-movie/movie/?id=713

 

 

中村屋酒店の兄弟』は「第13回田辺・弁慶映画祭」TBSラジオ賞、「第30回東京学生映画祭」グランプリをはじめ、数々の映画賞を受賞し、映画祭に出品された。映画ファンの間での反響がとても大きかったと評判であるいっぽう、後からその情報を知ったわたしにとっては配信・ディスク化・上映の機会がどれもないという、手の届かぬプレミアな存在だった。

今年になって劇場公開の知らせを聞き沸き立ったが、主演の長尾卓磨さんが白磯大知監督と制作会社を立ち上げ、劇場公開に自ら動いたというから驚く。

www.asahi.com

 

渋谷のシネクイントで2週間先行上映があり、その後2022年3月18日より全国上映が始まった。

印象が都市伝説のようだった本作は、上映スタイルそのものもとても珍しいものだった。なんと今回は10分間のラジオドラマから本編がスタートする形で上映されている。ラジオドラマなので、画面には何も映らない。現代的な生活に突如訪れる暗闇は、人生に間や、静寂を与えてくれているようだ。

映画の上映中にスクリーンが休んでいるのだから、わたしだって休んでもいいだろう。喧騒を忘れて、今、ここにだけに存在しようと自然と思え、まるでお正月三ヶ日のような贅沢な気分で時間を過ごすことになる。

 

暗闇の中で耳を澄まし、並んだ座席の数だけ、思いを馳せる物事があるとたまらなくなって涙が溢れた。いつだったか、電車に乗っていたときに友人が「帰り道に電車の車窓に映るマンションの灯りが見えると、人が生きてると思って感動する」と言ったのを思い出した。彼女は電車に乗るだけで、この感覚に飛んでいけたんだなと、今になって知る。わたしはその感性をすぐに忘れて掴み取ることができないから、きっと永遠に映画館で過ごす時間が必要なのだ。

 

白磯大知監督は、地元の酒屋がなくなってしまった実体験を起点にしてこの映画を製作したと語る。失われつつある町の酒屋も、こんなふうに何かの気持ちを取り戻してくれるような、何かを掴める契機になるような存在なのかもしれない。永遠に残るものはないのかもしれないが、それでも、その場でしか持ち得ない思い出や感覚や気持ちがあることはわたしにも想像できる。

 

cinemotion.jp

 

映画の中では、両親から継いだ酒屋を営む兄のもとに、東京へ出て行った弟が久しぶりに帰ってきた日々が描かれた。

決して会話が多いわけでない男兄弟は、酒屋の店先の灰皿を挟んで煙草を吸う。酒を挟んでテーブルにつく。釣竿を下ろして、やっと横に並んで腰を据える。何かが隙間を埋めないと並ぶことのできないその佇まいは、それだけでそれまでの二人の歩みや空白、距離を観る人に理解させる。鑑賞後心に残るのは二人の起こす静寂、間だった。

 

長尾卓磨さん演じる兄の弘文は、とんでもなく優しい人だ。穏やかに人やものを見つめる横顔が印象的で、脳裏に焼き付く。「優しい」とは何だろうかと、観ていて不安になった。

藤原季節さん演じる弟の和馬は、よかれと思って的外れな気遣いばかりを口にする。彼の残酷ささえある無邪気な発言を、兄は「おお、おう」と特徴的な声を出し笑って、全て飲み込む。その顔は照れているようにも見えるし、相手に対する拒絶にも思えた。優しく肯定し、どこかで否定している。ものの良し悪しとは、対立と許しとは、現実ではこんなふうに曖昧だったことを思い出した。

 

主演二人の表情、間が凄い。じっと彼らのこれまでを想像する時間があったということは、それをじっと観ていられる吸引力のある画面だったということだろう。久しぶりに弟を迎え入れる兄の目、とあるタイミングで「ありがとうね」と兄に言う弟の目は、どんなふうにも見えて繊細だった。

表立って波風を立てなくても、自分が飲み込んで済むのならと思える器量。感情的にならないように気をつけていても、漏れ出てしまう熱を含む性質。何かドラマチックな事件が起きなくても、どこかのポイントで生活がすれ違う兄弟。成長の過程で相手を否定したくなることがあるが、それでも優しくしていたい。こういう表情は、これまでの人生で見たことがある。頭の中で自分の記憶が打ち上がるように蘇る。

 

弟にとってのわたし。出会う人に影響されて進路を決めたわたしはちゃらんぽらんに見えただろうと思うし、大人と喧嘩するくせに可愛がってももらえていたわたしは、社会に対して失礼な女に見えただろう。弟の顔から漏れ出ていたものを、わたしは忘れてあげられない。でもわたしはわたしなりの方法で、こういう姉として存在していたのだ。それはわたしじゃない。

 

素直に生きてきた、中村家の弟の和馬のことがよく分かる。和馬が兄に幸せになってほしいと本気で思っていることも、兄に提案したことも、全く嘘ではないのだろうとわかる。相手に対する少しの疑念が伝わってしまいあっても、それでも基本にあるのは相手によく生きていてほしいと純粋に思う思いやりだったりする。信じてほしいのは、彼も彼なりにまっすぐ生きていて、関わる人を大切にしてみたいと思っているのだろうということだ。

これは弟に対する自分であり、和馬を通して自分に言い訳をし始めていることも自覚している。どこからどこまで作品のことなのかどんどん曖昧になっていく、どこまでも素敵な映画だった。何度観ても消費されない。

 

きっと弟があの日までにエヴァを見返してくれていただろうことや、プラモデルを組み立てるのに何時間かかるのかを、知っていると伝えられたらよかったのだ。

正月や誕生日に帰ってこれる場所くらいは持っておこう。そういうことを繰り返して、いつかまた横並びになって家で映画ぐらい観られるようになるかもしれない。

 

2021年映画ベスト

2020年のおうち時間をきっかけに映画を観る習慣ができたため、年間ベストを考えるようになりました。去年は映画を観始めた年でもあったので、観るべき旧作も多く、旧作新作ベストを挙げました。

 

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年の後半になるにつれて、世界にはこんな数映画があるのに時間が足りなかったなと反省。

2021年はペースあげていかなきゃと、去年見逃してしまった作品、観るべき名作、去年よかった作品の監督の過去作を辿って観ていたんです。それで正月から『岬の兄弟』を観てしまったりしてね…(岬の兄弟は大傑作だが正月に観るもんじゃない)。

 

年が明けてまもなく、新作も素晴らしいものが結構な数公開されました。花束現象なんかもありましたね。みんな観て!!と大騒ぎしてしまうような力のある作品も多くて。とくに邦画がすごく良かったじゃないですか?

ただそんなふうにしてあまり頭が整理できないまま色々観た結果、何を観点にベストを選べばいいのかわからなくなっていきました。

 

もともとミニシアターで上映されるようなインディーズな作品、静かな作品、社会的な問題を扱う映画を好んで観る傾向があり「エンターテイメントとして上質な時間をくれた」といった選び方のほか「こういう映画こそ広まってほしい」と願うような気持ちを持つこともありました。

さらに今年は「新しい映画体験!」「こんなテーマを映画が扱うなんて!」「この観点は新しい」など、映画の社会的インパクトとして評価せざるを得ないと思わせてしまうような作品もあり、そういうものをランキングから外せないという意識も持ち始めます。

「何度も観たくなるほど好き」という気持ちと「初回に観たときの衝撃が忘れられない」という気持ちは全く違うものだけど、どちらもベストに入るものとは言えるでしょう。

 

さらには今年俳優の推しもできたため、自体は複雑なものになっていきます。推しの作品は特別。それはそうじゃないですか。

ひとまず推し問題については、気が済むまで推しのことを考え、フラットになることを目指すという取り組みでいったん解決しました(解決?)。

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年末になっても考えられなかった映画ベスト、動くきっかけになったのは締め切りです。まあ、何かある日ぱっと思いつくだろ…。色々頭だけで考えてしまい、天から何か降ってくるの待ちにさえなっていましった。

仲間内で映画ベストを発表しあう会が近づいて、いよいよ決めなければと、まずは「映画ベストを考える方法」から考えて決着をつけることにしました。わたしは真剣です。真剣に映画ベストと向き合っています!!!!!

 

 

 

色んな自意識を吹き飛ばして客観視できるよう、まずは作品名をひとつひとつ付箋に書き、100均で買ってきた白いパネルに並べてみました。もうわたしの脳はフィジカルに頼らないと動きません。

 

今年見た新作60、旧作91作の作品名を俯瞰して見ると、この作品たちのためにどんな人数の人間が動いてきたんだろう…と果てしなさを感じます。そして、「なんだかとてもおこがましいことをしているのでは」という気持ちにもなってきました。

 

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果てしなさに身を預けても仕方がないのでとにかく手を動かしてみることにし、「何度も観たい」「もう観たくないほどの衝撃」「人に勧めたい」「逆に人に勧められないくらいコアな好みだけど愛しい」など色んな観点で並び替えまくります。

好きな映画を切り捨てなきゃならない行為はきついこともあり(好きでやってるのに)、順番をつける不条理を感じたり(好きでやってるのに)しました。

 

しかしあるときから、ある作品の付箋を手に取るとときめくようになってきました。

こんまりメソッド?

 

 

これが「好き」ということかもしれない……………

何だか悟りを開いたような気持ちになりました。

 

 

自宅でひとり謎のワークショップを繰り広げた結果何かを掴んだわたしは、公開時期を区切り、新作のみ絞って2021年らしいベストを作ることにしました。

2020年12月〜2021年11月公開作品とします。

(12月は今年が終わると焦ってる間に終わるから全然映画が観れない為)

 

ここまでが長くなりすぎたんですがいよいよ発表します!!!!!

 

第10位 ひらいて

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衝撃のわからなさ。
ノローグが一切ないのに、登場人物全員想定外の言動しかしません。ヒントがないのでマジでわからない。最後の台詞は特にわからなすぎて、家で観てたら声出てたと思います。

 

愛しい〜!!!!!!!

思春期の女の子たちの抑えきれない激情、好きゆえの過剰反応、自分でもわけがわからなくなってしまうような行動のことはもっと個人的にしまっておくべきものと思っていました。こんな規模の映画にしちゃって大丈夫なの!?好きだよ。好きです。

全体的にピンクがかった画が、カメラアプリのフィルターを知る世代の映像って感じがして、そこにも何かこう、情念みたいなものが篭っていて、いいなあ。実にいいよ。

首藤凛監督は原作小説『ひらいて』に衝撃を受け、映画化するために映画監督になったとインタビューで読みました。そこで原作も読んだんですけど、話の構成や扱うモチーフが全然違うのに真髄が大切にされすぎてて、その愛にさらに感激しました。これは原作おたくの壮大な二次創作。

 

第9位 燃ゆる女の肖像

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勢いでブログ書いたくらいに鮮烈だった映画体験。

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とにかく美しい。映像が美しい。暗い場面も明るい場面も、本当に綺麗で、それだけでガシガシと魂を揺さぶられました。人間が好きじゃないとこういうものは撮れない。

女性にまつわるテーマの良作が近年本当に豊富だと思いますが、群を抜いて好きです。

 

第8位 ファーザー

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映画体験として新しすぎる!!

没入感を与える実験映画としての発明を面白がることなく丁寧に作られた作品であることが伝わってくる作り込みがされていて、それゆえに飽きないで最後まで集中できる。考察したくなるようなアイテムも散りばめられていて、とにかく凄いです。好みとかいうものを超えて2021年といえば、の一作。

ネタバレ完全NGのため、「ヤバイから観て」とカルト的な口コミをせざるを得ない興奮もありました。

 

第7位 由宇子の天秤

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自分の使うもの含めて、「真実に迫る」「正しさ」という言葉がいかに薄っぺらいものなのかを突きつけられるようでした。2時間32分と比較的長尺なのに、ずっと緊迫感があって、気がついたら息止めてました。

 

これは個人的な体験なんですが、渋谷のホテル街ど真ん中にある映画館でこの映画を観ました。23時頃に上映が終わり、フラフラしながら外へ。早く帰ろうとした曲がり角、急に視界に入ってきた女性に「100円でいいからください」と声をかけられたんです。目の前で広がる風景と、いつもずっと繋がっている映画を今観たのだ、と思い知らされたようで帰宅後どうしたらよかったのか考え込んで泣きました。

 

第6位 すばらしき世界

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芸能関係者の反社会的勢力との関係性が暴かれ、社会的に裁かれるということがメディアで連日報じられていたことも記憶に新しい中、反社会的勢力の現代的問題を描く作品が増えてきましたね。

2021年に『すばらしき世界』があったことで、この作品を指標に他の作品を見てしまうような影響力が自分にとってありました。人の優しさ、優しさを示すために人に投げかける言葉や行為に普遍的なものなどないかもしれない。知らない世界の優しさを教えてもらいました。こういうことをしてくれるのが映画だなあ、と思った作品。役所広司さんがとにかく素晴らしい。

 

あと、ROLANDがこの映画にコメントを出して「共感する」と言っていてグッときました。

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第5位 あのこは貴族

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大好き。これもブログ書いた。

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シスターフッドものって大好きなんだけど、いつでも一緒にいるバディ的な関係にも、NANAのようなほとんど恋みたいな関係にも、自分は共感できないでいて、わたしって冷たい人間なのかなあと思う時期もありました。でもそうじゃないんだよな。

人との出会いがどれだけさりげないものだとしても、人生を変えてしまう忘れられない存在として、支えてくれる人はいる。また出会えたら握手したい。そういう東京っぽいつながりを肯定してもらえたような気持ちになり、自分が解放されたような感覚です。

 

門脇麦が最高、水原希子は最高、というのは大前提として、高良健吾がすごくなかったですか?かわいそうな人にも、ヤバイ男にも見える絶妙な演技でしたよね。

 

第4位 少年の君

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全シーン写真集のような美しさ。

いじめ、ストリートチルドレン、受験戦争。非行少年と少女の出会いを中心に添えた物語。テーマとして新規性があったり映画表現として新しいものが評価されやすい傾向にある中、スタンダードなテーマ、やり尽くされたプロットを丁寧に繊細に描き直すというのはとても難しいことなのではないでしょうか…。その気概が好きです。

身体的痛みを伴うくらいにボロボロになりながら鑑賞しました。特に主演のチョウ・ドンユイさんの丸刈り姿になってからはずっと胸を押し潰されている気持ちでした。

 

第3位 BLUE

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ねえ、みんなのもとにBLUEは届いていますか? 

緊急事態宣言の影響で上映時期が不運すぎた本作、映画館にも行けなかったから予告にも出会わなかったんですけど、ギリ観に行けた人の評判が良すぎて配信されて即観ました。そして口を開けばBLUEの話してたくらいの大騒ぎ。

夏休みのたびに再放送されていったあの『タッチ』の日本人視聴率と同じくらい見られるべき。生涯ベストは何ですかと問われたらBLUEです、と言うと思う。

何者かにはなれなかった人生がこんなにも美しい、ということを見せてくれる本作には、ありがとうの気持ちでいっぱいです。

 

第2位 くれなずめ

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劇場で複数観て、副音声つきで観て、Blu-rayも買って観て、Amazon prime videoでもマイリストに入れていて、リビングで流しっぱなしにして過ごす環境映像にしているくらいにずっと観ている映画なんですけど、びっくりすることにいまだに観ると心に爆風が吹くんですよね。

悲しい別れが多かったこの数年、人を悼むという行為について考えることが多かった。ズルズル引きずっても、曖昧なままにしても、カッコ悪くてもいいよと言ってくれる優しさにとても救われています。ああ、こんなバカな映画なのに『くれなずめ』の話すると泣いちゃうんですよね。好きすぎる。

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そしてこの作品で藤原季節に出会いました。

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第1位 空白

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『空白』が公開された2021年に映画が好きで良かったな〜!!劇場で観たこと、後世に自慢できるな〜!!と思うような作品でした。スターサンズと吉田恵輔監督のタッグ、間違いないと思ったら本当に間違いがない幸せ。藤原季節も最高の役で出ている。最高。

 

社会派、サスペンス、家族もの、メディアの役割を問う。色んな切り口で紹介できる作品だと思うんですが、それらのテーマに関心がなくても、そもそも最高のエンターテイメント作品であるということが大好きポイントです。人への不寛容、それで生まれ得る断絶、「正しさ」を前にした人の視野の狭さ、人を許容できなくなった社会の空虚さ。これらが視野にいつも入ってしまう今だから、観て感じることがある大傑作。とか言いつつ偏差値2のテンションで観ても面白い。

最悪の事件から物語が始まり、その事件の真相ではなく事件をきっかけにした人間模様の地獄を中心に描くド重い作品であるいっぽう、その人間描写が「ヤバすぎて笑えてしまう」ところがあり、それがどちらかに過剰に転ばないところが凄いんだと思います。吉田監督の人間観察力だろうなあ、マジでこういう人いそうだ!という実存感と劇映画ならではの表現のバランスがたまらない。めちゃくちゃ嫌だ!!!!!!勘弁してくれ!!!!!と思いながらもなんか見ちゃう。ちゃんとずっと面白いんですよね。最高じゃんか。

特に嫌だったのは麻子役の寺島しのぶさんが、松坂桃李さん演じる青柳店長の腕に触るシーン。彼女なりに触っていい根拠づくりをして、正しい行動をしていると彼女が思える理由をつけて触っていることが分かっちゃう自分に嫌気がさしました。いいわけないんだけど…。

 

 

本当に好きすぎた作品がたくさんあったので、ベスト20まで名前だけ紹介させてください。特に『ドライブ・マイ・カー』『のさりの島』は繰り返し思い出しては好きなシーンをノートに書き出して反芻しているほど大好きで、ブログも書いたほどだし

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10という区切りの数字を嫌いになりそうでした(身勝手)!

 

1位 空白

2位 くれなずめ

3位 BLUE

4位 少年の君

5位 あのこは貴族

6位 すばらしき世界

7位 由宇子の天秤

8位 ファーザー

9位 燃ゆる女の肖像

10位 ひらいて

11位 ドライブ・マイ・カー

12位 のさりの島

13位 ヤクザと家族

14位 まともじゃないのは君も一緒

15位 映画大好きポンポさん

16位 シン・エヴァンゲリオン

17位 サマーフィルムにのって

18位 リトル・ガール

19位 DIVOC-12

20位 ビルド・ア・ガール

 

 

ということで2021年映画ベストでした。

人のベストを聞くの大好きなので、ぜひ聞かせて欲しいです。

 

2021年わたしの好きな藤原季節ベスト10

2021年、特定の俳優さんのファンになりましてね。

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『のさりの島』舞台挨拶で自分で撮った藤原季節と山本起也監督。本物を前に心配させるほど号泣した苦い思い出

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そこで初めて経験する気持ちがありました。

年末に差し掛かり「2021年の映画ベストを決めよう」と恒例の企画が持ち上がった時、映画コンテンツの中に推しが含まれるという事実に自意識が過剰になってきたのです。

 

「この映画が本当に好きなんだけど、わたしの推し補正と思われてしまうのではないだろうか」

「そもそもわたしは本当に忖度なく好きな映画を選べるのだろうか」

「わたしがこの映画が好きということで推しの純粋な作品に対して違う意味が含まれてしまうのではないだろうか」

「わたしが過剰に褒めるために説得力を失ってしまったら推しへ迷惑になってしまうどうしよう早く客観性を担保しなくてはならないこの早口をやめて」

 

なるほど、おたくの心って複雑だね。

まじで周りのみなさんは気にしてないはずというか、どうでもいいと思うんですが、自分なりに解決策を考えました。2021年に発表された推しの活動のうちわたしの心のベスト10決めます。名付けて「わたしの好きな季節ベスト10」です。

いいだけ推しの話しとけば客観性の担保もできるはずと自分で思えるだろ。始めます。

 

 

第10位 2分半長回し絶望キスシーン (ドラマ『それでも愛を誓いますか?』)

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飴を使ったキスシーン。こんなの地上波で流して大丈夫なのかと思う真剣な欲求のぶつかり合いが行われていました。涙を落とすタイミングをどうしてコントロールできるのか不思議で仕方なく、途中うっすら笑った顔も脳にこべりつきました。

 

第9位 演説中の肩と声 (舞台『サンソン -ルイ16世の首を刎ねた男』)

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初めて生で見た藤原季節の演技でした。このシーンの映像は残ってないので舞台の告知動画を貼りますが、肩の張り方ひとつで民衆を革命に導く強靭な思想と聡明さを信じさせる力、姿勢、凄まじかった。どこからあんな声が出るんだろ。はっきり聞き取りやすく、かつ抑揚のある大きな声に圧倒されました。声の初速が早い。

 

第8位 「爆発か。爆発といえば俺か?」(映画『くれなずめ』舞台挨拶)

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心がくじけそうになった時一番見た動画です。BCG跡を見せる藤原季節。何でだよ。

 

第7位 「すいません、よく見たら美人です」(映画『空白』)

この人がそばにいてくれたらきっと人生うまくだろうと思う子分感がたまらない作品でした。中でも後半の古田新太さんとの掛け合いの台詞でちょっと調子乗るところが大好き。彼がいることでこの映画が部分的に笑っていいものになり、シリアスなものだけにならなかったと思う。

 

第6位 過剰すぎる謎解きマスターのモノマネ(舞台『ぽに』)

普通ためらってしまうようなところでバっと大きい声出せる愛らしい人を演じるのが本当にうまい。舞台上で、ここで笑っていいですよ、という隙間をつくってくれる。主人公がこのどうしようもない男を好きになってしまうことを仕方ないと思わせる重要なシーンだったと思う。

 

第5位 5月12日のブログ

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落ちたきっかけの文章。彼の丸く尖る繊細な言葉を尊敬しています。

 

第4位 食べる藤原季節 代表作→「うめえ」(映画『のさりの島』)・「うんめえ」(映画『DIVOC-12』)

藤原季節の食べる演技は天下一品です。『のさりの島』のなかで卵焼きの食べ方が変化していることに気付いた時、あまりの繊細さに痺れて天を仰ぎました。卵焼きを宇宙一美味しそうに食らうところでは感性に任せて芝居する役者さんにも見えるのに。

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『DIVOC-12』のうんめえ、は全く違う文脈で笑いながらアイスを食べるんですけど、すごい泣けるんですよね。何あれ?こんな台詞で感動する日が来るとは。いっぱい食べてくれ。

 

第3位 赤ちゃんを抱く悠二、その後の疾走(映画『佐々木、イン、マイマイン』)

部屋に射す光・表情・台詞・音から見る悠二の気付き、自分の気持ちを伝えようと決心するまでの感情の変化を正確に追っている感覚が鑑賞体験として完璧すぎて何度見ても新鮮に驚くシーンです。鼓動が早くなる。

 

第2位 夏目漱石夢十夜』朗読 第一夜(朗読劇『夏と朗読』)

短編の連なる本作の中でも大好きな「第一夜」。わたしには想像しえなかった解釈に震えるほど感動しました。愛のかたちを見た。

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第1位 「すげえお菓子もらいに来た人みたいになっちゃって」(映画『くれなずめ』)

この人の演技が好きだと思ったきっかけのシーン。思い切り泣くことも強がることも選べていないような、何とも言えないすごい顔をしている。

藤原季節さんはスクリーンで見る面構えが良いよなあとしみじみ思っている。映画で1人で大映りになったときに吸引力がある顔をしている。顔立ちが整っている、濃い、という意味はなくて(もちろん端正なお顔立ちだと思うんだけど)、影が落ちたときにはっきりと表情がうつって、人間っぽさがあって、主役になる顔をしているなあと思う。昭和の映画俳優のような印象。

メイキング映像などを見るとご本人はあの演技やりすぎたんじゃないかと思われてる節があるけど、あのシーンがあることでだいぶ鑑賞側が映画に没頭できたんじゃないかとわたしは思うなあ。

 

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他ノミネート作品は下記でした。

・花畑でのカバンの叩き方の雑さ(映画『くれなずめ』)

・「俺今人生で一番モテてる」大学生・大成の部屋(映画『くれなずめ』)

・「金もねえし毎日だりいし何となく借りたんすよ!!!!ああ!?」の早口(映画『くれなずめ』)

・誰よりも早く激しく泣く大成(映画『くれなずめ』)

高良健吾にもらった服、成田凌にもらった靴(映画『くれなずめ』完成披露舞台挨拶)

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・「お疲れ様です、季節です」と城田優に挨拶(ゴジゲンのゴジTube)

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・不作法に酒を飲み酔っ払って豪快な寝姿(映画『のさりの島』)

・洗濯物の干し方の変化の演技(映画『のさりの島』)

・やいと(お灸)をしてあげるときのアップの表情の繊細さ(映画『のさりの島』)

・バニラアイスをねだり艶子さんと過ごすリビングの空気(映画『のさりの島』)

・車の鍵を投げて渡す演出について「清らが大きい声を出すシーンがあるといいと思った」(映画『のさりの島』舞台挨拶@アップリンク吉祥寺)

・「ゴム手で触らないで下さいよ!!」と漁師さんを拒否るいい感じの若者感(映画『空白』)

・「充さんが親だったら正直キツいっす」(映画『空白』)

・「充さんの船に乗せてもらえなかったら俺、ホストになるしかないです」「それは、まずいな」(映画『空白』)

・「メルヘンっすね」充の絵を見るテンポ(映画『空白』)

・明大前への異常な食いつき(舞台『ぽに』)

・本当に中の人の発想で言っていそうな台詞「嘘コーティングのガチ」(舞台『ぽに』)

・体側が全く伸びていないストレッチシーン(舞台『ぽに』)

・なぜか記憶に残ってしまう台詞「目が長いのよ」(舞台『ぽに』)

松本穂香さんとのツーショット写真(舞台『ぽに』)

・号泣カラオケ(映画『DIVOC-12』)

・「僕はいつも自分がうさんくさい人間であるという思いが消えなくて恥ずかしくて不安」(『DIVOC-12』公開を受けて フリーペーパー『FILT』インタビュー)

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・迷わず人の足を膝にのせ絆創膏を貼ってあげるまっすぐさ(ドラマ『それでも愛を誓いますか?』)

・正面を向いてまっすぐ涙を落とすルーシー

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・人の話をちゃんと聞いている結果目がキラキラしている藤原季節(ダイナナDEEP TALK LIVE)

・公式LINEに登録すると「藤原のシーズンがLINEに到来しました」とメッセージが来る

・「負けたくないから。負けたくない」の言い方(映画『佐々木、イン、マイマイン』)

・朝帰りのキッチンでの小さい佐々木コール再現(映画『佐々木、イン、マイマイン』)

TAMA映画祭授賞式スピーチでお世話になった皆さんのことをひとりひとり挙げて語る姿

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映画、ドラマ、朗読劇、舞台と大活躍だった2021年、自分がすっかり沼の住人であったことを忘れて「良い映画には大体藤原季節がいるなあ」と思ってしまうくらいに良い作品にばかり出演されていました。

 

好きを言語化するたび細かくなってしまって客観性の担保に繋がったかというと疑問が残りますが、彼を追っかけているおかげでこれまで出会えなかった分野の作品に連れていってくれたことを再確認しました。心から感謝しています。

 

映画『DIVOC-12』完成披露試写会に立ち会って –藤原季節さんへ この作品に出会うことができてわたしも救われました

2021年の夏は、サバイバルホラーゲームの主人公になったつもりで家を出ていた。

公園のある通り沿いは花壇に腰掛けて酎ハイを飲む人たちがいる。ビルの裏はタバコを吸うスーツの人がいる。駅前のファーストフード店の前は食品配達員の方たちががたまって話している。避けるべき道、避けるべき場所を覚える。すれ違ってしまったらライフが1つ減る。HPマックスのままゴールへと行け。

余計な思考をしないように暮らすライフハックのはずだったけれど、そのせいで顔の半分を覆うマスクの有無や種類がいかにも教養や信条を表していると思い込むことが容易になってしまった。

 

実際にはゲームのように属性が頭の上に表示されているわけもないのに、あまりにも人に会わないから、繊細な変化やその人それぞれに文脈があることを実感しにくくなった。少しでも鈍感になることが自分を守ることにもなったが、全ての人びとに均一的な良心を求め、自分は正常な側にいると思いたくなることにも繋がった。とても天気が良かったりすると、ふとその行為の底意地の悪さをどこかで知っていることに気づき、罪悪感で泣きたくなる。

 

『DIVOC-12』という12編の短編オムニバス映画は、そういう夏を乗り越えて公開された。

 

12人の監督による10分12本の短編映画集は、COVIDの文字を逆から書き換えた「DIVOC」と名付けられた。「コロナをひっくり返す」という意味が込められている。ソニー・ピクチャーズ エンタテインメントが、新型コロナウイルス感染症の影響を受けているクリエイター、制作スタッフ、俳優が継続的に創作活動に取り組めるようにと立ち上がったプロジェクトだそうだ。三島有紀子監督、藤井道人監督、上田慎一郎監督が中心となり3チームが組まれ、公募によって選ばれた新人監督を含む12人の監督が集結した。

 

www.divoc-12.jp

 

12編の中には今年出会ったわたしの推し・藤原季節さんの主演作『よろこびのうた Ode to Joy』も含まれる。

 

映画公開前から、本作を手掛けた三島有紀子監督とふたりでインタビューに答えている記事があがった。内容もあらすじもぼんやりとしかわからないまま2人の語りを読み解くたび、10分間の短編映画のことを語っているとは思えない熱量の内容に、混乱するような気持ちになった。

 

仙台の方言を話す役らしいのだが、その役作りのため誰にも言わず1人で仙台に行き、方言を勉強し、東日本大震災の跡の見える場所を訪れ復興の現実を学び、クランクイン10日前からは役の衣装とスニーカーを履いて歩き続けていたらしい。三島監督が「わたしも知らなかったんだけど…」と驚いて語ったこのエピソードは、藤原季節さんにとってはきっと語るほどのことでもない普通のことで、彼女がいなかったら世に出ることがなかったのかもしれないと思うとゾッとする。

 

screenonline.jp

 

確かに彼は今年出演した映画でも、ろくでもない青年を演じるために飲み歩いて風呂に入らず家にも帰らずグズグズになって撮影に臨んだりしていた。あの作品も登場時間は10分くらいだった気がする。時間は関係ないのだろうが、それにしても衣装を着てひたすら歩いてみようと思う発想はどこから来るのか。役とともに生きるためにものすごい時間を掛ける方なんだろうと今回いっそうに感じた。

 

enterjam.com

 

三島監督も、出てくるエピソードから見る仕事への緻密さ、そこに感情を全部のせているのだろう力が凄まじかった。プロフィールが作中明かされない登場人物について、年表を作って渡していたり、瞬きの数といった細かい身体表現まで調整してくれたそうだ。

藤原季節さんはインタビューで監督のことを「魂を削って撮っていた」「感受性が堰き止められない人」と表現していた。彼はブログやインタビューでの語り口がとても魅力的で、伝わりやすい、でも尖った言葉選びが繊細な人だ。そういう方の「感受性が堰き止められない」とは、最上級の褒め言葉なんだろうと思った。監督がこういう表現を引出させてしまう方であること、そういう仕事をすることになる状況にも興味を持った。

 

lp.p.pia.jp

 

 

2020年は様々な業界への危機的状況を共通言語で話すことができたぶん、痛みをわけあう優しさを持てたし、支援の活動も盛んだったように思う。

対してその延長にあった今年は業界によって状況が様々で、生活を立て直そうとそれぞれが必死だったぶん、あの頃支援の気持ちを持っていた業界の現在も追いにくくなってしまっていた。そういう今のタイミングでクリエイター支援の目的で、この大きな規模で作品が発表されることがとても素晴らしいと思った。まだまだこの世界を生き抜くに大変なことは明らかだ。

このDIVOCのプロジェクトで出会い、作品を作ろうとした2人が、この熱量で語らっていることはとても素敵だ。どんな作品になっているか分からない時期から、きっと2人にとってとても大切な作品になっているのだろうことは予想できた。

 

 

そうして楽しみに待っていた本作、なんと幸運なことにTwitterリツイートで応募した完成披露試写会に当選し、立ち会う機会をいただいた。

 

 

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公開約2週間前にあたる9月14日、応募抽選で招待された40名と限られたメディア、監督たちが集まったが、340席あるシアターに前後左右1席ずつを空けて座った客席は、かなりがらんとしていた。

 

 

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司会者の方に名前を紹介されて並んでステージにやってきた監督と出演者の皆さんはそれでも、足を運んできたわたしたちに感謝の気持ちを伝えてくれた。

チームのリーダーとなった3人の監督とメインキャストが登壇、客席には各チームの監督たちが揃っていて、この映画の企画によって初めてこの量の監督の作品たちと出会えるんだな、と実感した。

 

 

40分程の時間の舞台挨拶の後、映画の上映という段取りだった。

舞台挨拶では登壇者ひとりずつの挨拶があり、司会の方から質問をふられる形で監督たちが自身の作品に関するお話、役者さんたちへのねぎらいの言葉を語った。役者の方々からは作品制作の感想や他の役者への質問、作品制作について、それぞれの推し作品が語られるコーナーがあった。

 

登場してはじめに話をしてくださったのは三人の監督たちだった。メモから書き起こしたので正確なものではないが、

藤井道人監督は「10年後もみなさんのポケットに入れておけるような、ひとつひとつ素晴らしい作品になっていると思うので、楽しんでください」

上田慎一郎監督は「映画が完成して、お客さんに語ってもらって初めて完成すると思うので、どんな声が聞けるか楽しみ」

三島有紀子監督は「色んな不安を乗り越えて来てくれてありがとうございます。この映画が作れたことに感謝しているし、今日を迎えられて幸せに思います」

と挨拶をしてくださった。まだ人が集まるということに不安の感情が重く乗る頃だったぶん、誰かのもとに作品が届くことに対する感謝の気持ちを語ってくださったことが印象に強く残った。

 

作家性の違う3人の監督のもとに集まった監督や役者のみなさんは、横並びになると非常にカラフルだ。これまで自分の好みで選んでいたら出会えなかったかもしれない方達も、よく見る方達も同時に視界に入ることになって面白い。

12本の違う短編に携わった人たちが同じ作品として編まれた映画を全員観て、互いの感想を楽しそうに交換している。監督たちも、他の現場を見ることによって作品を語る言葉がよりメタなものになっていて、映画製作といういち視聴者にとってはスケールさえ想像できない現場のことに目を向けられるようになる希有な経験になったと思う。

 

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映画公開後は、映画製作のドキュメンタリーも発表された。

 

例えば上田監督は小関裕太さんに「撮影前から連絡をくれて質問をしたりコミュニケーションをとってくれた」「現場でスタッフを笑わせてくれた」という文脈から語り、松本穂香さんも「監督は「OK!」のテンションで「もう1回!!」も言ってくれて、明るい気持ちで最後までできた」と語っていて、現場でのものづくりをするまでの空気作りを中心に語っていた。

藤井監督はキャリアのスタートが短編映画だったことを振り返って、今また短編映画を撮れることにワクワクしたと語り、短編映画としての色を大切にされていたことを感じさせた。

どんなことを考えながら撮影中過ごされていたのかというところから作品を俯瞰しても体験できたし、これが集まって語られているが故にお互いに影響しあって語りが生まれているのもとても面白かった。

 

特に共演経験のある役者さんたちの繋がりには心癒された。

『ユメミの半生』主演の松本穂香さんに対し、監督の上田慎一郎監督は「本当にこの役を穂香ちゃんにお願いして良かったと思いました」「僕が書いたキャラクターなんだけど、それを上書きしてくるくらい生きたユメミをやってくださった」とコメントしていて、映画『his』で共演経験のある藤原季節さんが離れたところからとても嬉しそうに笑って頷いていた。

推し作品は?という司会者からの質問に季節さんは「上田チームの暴れっぷりがすごい」「作品の広がりを持たせてくれた」と取り上げていて、役者同士としてのリスペクトの様子がみられた。

 

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この後、藤原季節さんが自分の作品について語りながらめちゃくちゃ泣いてしまうというシーンがあった。

座った位置的に目の前にいた推しの季節さんの目が潤んでいく様子と対峙していたわたしは、必死にレポしようと登壇者の皆さんの言葉を書き留めていたノートに「泣いている……」と思わずペンを走らせてしまった。正直、登場したときから表情が固くて何かあるのかと思ったが、泣かないように身構えていたのかなと今振り替えれば思える。特記すべきほどの号泣だった。あっという間に、場の主役となった。

 

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そしてこの試写会ニュースの主要トピックのひとつになってしまった。YouTubeにいくつかのメディアがこの完成披露試写の動画を上げているが、「涙」の文字がタイトルに並ぶ。

 

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その後役者同士で質問をしあうコーナーで、ロン・モンロウさんに「役作りの秘訣は?」と尋ねられた松本穂香さんが「私が思うのは、季節さんもそうですけど…」と、泣きすぎてあんまり長く語れなかった彼の話から役作りとしての観点を取り上げて語り直してくれていて、「絆よ………」と自然と拝む手を作ってしまった。同じ動画なのでサムネイルが同じだが、それぞれ頭出ししてあるので見てほしい。

 

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藤原季節さんはこの場で、この映画を「出会いの映画」だと語った。

 

富司純子さん演じる冬海は75歳で、年金とアルバイトで細々と食いつないでいる。ある日海で出会った歩(藤原季節)に誘われて、危うい仕事に手をつけることになるというお話だ。

彩度を落とした色彩の映像で描かれる静かな空気感は、わたしたちが今苦しみながらも必死に、淡々と、色んな状況がないまぜになりながら送っている生活を思い起こさせる。人との出会いがそこに変化を与えていく。特にエモーショナルなラストシーンが鮮烈に印象を残す。

二人のプロフィールはほとんど語られないが、不思議とその余白が謎にならず、どこか自分の経験とフィットさせて想像できる。それは微細で丁寧な人物の動きが、作品の力で受け取りやすくなっているからかもしれないと思った。

危ない仕事をしながらも華美さがなく寂しそうな歩と、胆力のある冬美。物悲しく苦しい物語のように一見して見えるあらすじにも関わらず、二人が並んだ画は、わたしを笑顔にさえしてくれた。確かに、出会いの映画だった。

 

「歩という人物に出会わせていただいたんで、彼が持っている寂しさみたいなものを少しでも理解したいなと思って。…俺、舞台挨拶で泣くの嫌なんだよな!!!でも、この『よろこびのうた』っていうのは本当、まさに出会いの映画でもあると思ってて。僕も本当に三島監督とか、冬美さんを演じた富司さんに出会うことができて、自分自身が救われました。」

語り終えた時客席からは拍手が巻き起こった。多分あそこにいたみんなが、帰ってから人に語りたくなるシーンだったと思う。

 

こんな時代に、そしてこんな時代であることを思い起こさせるような作品で、ちゃんと繊細でいることを諦めないでいる人がいるんだと思い知った舞台挨拶だった。わたしがマスクで自分の誠実さを気取っている間に、役のために歩き続けた人がいた。作品が届く日に感情を吐露して、作品を届けようとしてくれた。そのことは自分を見つめ直させてくれると同時に、救いにもなった。自分の仕事をまっすぐに見つめることが、こんな強さにもなる。ちょうどDIVOC-12の配信がスタートしたので、ぜひ観てほしいと思う。

映画は作品という形で残り続けるものだと思うが、本作はこの状況下で生まれ、公開されたという文脈込みで語り継がれていってほしい。外に出ることが許されるかどうかさえ危うかったあんな日々にひとりで役を積み、本気で泣きながらでも語りたかった「歩」という役を生きた彼がいたこと。

 

 

 

この日、この状況でしっかりと傷つきながら表現を諦めずにいる方々のパワーを目の前で見て、心から恥ずかしいと思った気持ちを忘れないようにしたい。

出会った人を正面から見て、感受性が堰き止められないような繊細さを持っている方々とその作品はあんなにも素敵だった。

 

 

 

 

 

イヤホンは嫌だと思えなくなった日のために ー劇団た組『ぽに』観劇記録

「イヤホンは嫌だよ」

泣き腫らしたらしい顔の彼女の力強い宣言を、わたしは全面的に肯定した。

同じ大学に通う友人である彼女は、付き合ってはくれないが部屋に呼ぶ男と不毛な関係を続けていた。

冒頭のセリフに至る話はこうだ。もうすぐ彼女の誕生日であることを知った男は、プレゼントをあげようかと言ってきた。彼女は喜んだが、続く言葉は「イヤホンはどう?」だったという。

 

「そうではないじゃん」と彼女は主張する。

「確かに音のいいイヤホンがあったらうれしいよ。欲しいと言ったこともあったかもしれない。でもそうじゃないじゃん。今の私はあいつと、どこかに出かけたり、一緒に何かをしたりして、そういう記憶を思い出せる約束がほしいんだよ。何で親切の顔して1人で過ごすための道具を与えられて、わたしの気持ちが済まされなきゃならないの。感謝はしなきゃいけない価格の消耗品で」

その通りだった。

 

心を殺さないと乗り越えられないだろう彼女の時間は想像するだけで果てしない。何の約束もない状況にも鈍感にならず「誕生日にイヤホンを贈られそうになっている」事実にちゃんと傷ついて全身で恋をしている彼女は、とても格好良いと思った。

彼女が話し終え一息ついた頃、わたしは「イヤホンは嫌」と口に出した。彼女がどんな感情を見過ごしても保ったギリギリのプライドから出てきた妙に語呂の良いこの言葉は、口に出してみるとこの状況を面白がれる勇気になった。振り切った勇気は、ときに笑いを呼ぶ。わたしたちは「イヤホンは嫌」としつこく唱え、プリクラの落書きに書き、思いつきで熱海に行った。安いビジネスホテルで熱海城を眺めて馬鹿みたいにお酒を飲みながら、この言葉をもってプライドを持っておこうと誓った。どんなに誰に何を許しても、譲れないことがある。拒否しないと失うプライドや、指針や、感情がある。選択しないことが、その後の人生への責任に対して誠実でなくなることある。そのことを決して忘れない。

 

 

それから彼女が元気にいとしい家族をつくるほどの年月が流れたが、わたしは観劇した舞台で「イヤホン持ってる?Bluetoothの。あげるわ」と言う男を見た。付き合わない女にイヤホンを贈る男はここにも存在したのである。

機械的な匂いに愛着を沸かせにくく、壊れても捨てるに惜しくならない。贈った事実で搾取する感謝、彼女に対するその後の人生の責任の負わなさを「Bluetoothのイヤホン」だけで見事に浮き出す人物像が鮮やかだった。

 

劇団た組の舞台『ぽに』は、やりたいことが見つからず何となく留学を目指す円佳(松本穂香)が主人公だ。彼女の視界として描かれる世界は狭い。告白しても付き合ってくれない役者の誠也(藤原季節)と、円佳のバイトシッター先だけで構成されている。

渡航先でシッターとして働くことのできる制度であるオペア留学を目指す彼女は、留学エージェントに40万円を払っているのに、なぜか参考書での自習を勧められるだけで英語の勉強の機会がなく、いつまでも面接をクリアできない。その間研修という名で斡旋されているアルバイトで5歳のれん(平原テツ)くんの世話をする日々を送り、何をしているのか自分でもよくわからなくなっている。そして好きな人である誠也には避妊をしてもらえず、「ピル飲まないの?」と言われる。いかにも怪しい環境、何かあったら自分のせいになってしまう状況。どこかに相談すれば何かがきっと変わるが、視野の狭い彼女はそこから抜け出せない。

円佳の優柔不断さ、努力できない姿にイライラする。誠也のようなクズがムカつく。

実社会に彼らがいたらこんな印象を持ったまま遠ざけてしまうかもしれないが、状況に至る要因は彼らの気質のせいであると言い切れないのではと、社会という構造の残虐さに向き合わされる。凄まじい舞台だった。

 

 

『ぽに』のセットは公園の砂場のような桜色の円形舞台で、そのくっきりと区切られた丸の中で繰り広げられる物語は、円佳のこの状況からの抜け出せなさ、視野の狭さが強調されているようだ。舞台外にはブランコ、アスレチックネットがある。円佳は部屋から玄関に出るシーンで、わざわざアスレチックネットを登る。彼女にとって外の世界に助けを求めることは、不安定な網の上を這って登るようなものなのかもしれない。

 

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「鬼ごっこ」が物語の発想の起点となったという『ぽに』では、登場人物たちが婉曲的表現で責務から逃げ、責任を押し付けあっていた。可愛い大きな手の形をしたぬいぐるみを手に持ち、人を叩いたり触る ——— つまり「タッチ」する ——— ことで責任の擦りつけが強調される、舞台ならではの演出も見受けられた。

 

 

 

逃げ足が遅いといつまでも鬼であり続け、終わりがない地獄ゲーム。鬼ごっこは実はとても残酷であるし、そのメタファーを使って社会を見てみると不思議なほどに辻妻のパズルが合う。これが世間であるのだと言葉にすると何とも恐ろしいが、押し付けられる側はいつも押し付けられ、逃げ惑う。うまくすり替えられた責任の在処がいつの間にか集まって、損な役回りばかりになる人が現れる。

 

身体的に・ジェンダー的にも受け止めることが強要されることの多い「女性」として登場する主人公の円佳は、それを全て仕方がないこととして受け止めてしまう。彼女が出会う世界は、わたしも女性として生きる上で内面化して引き受けてしまっていた世間だった。

ぬいぐるみの手を使って軽妙に円佳の身体に触れながら避妊をしない性行為に持ち込もうとする誠也は、あまり思いつきもしないような言葉を大きめの声で言えてしまうキャラクターに魅力があり、一度笑ってしまったら受け止めたと思われ得ることがリアルだ。

「お口に酸味が欲しいんだけど」

「嫌なら嫌って言わないと、入っちゃうよほら」

見つめられた女性は拒否できなかったら自分だけで責任を取らなきゃならなくなってしまう可能性があるのだと、あまりの恐怖に涙が零れた。

 

こう書き連ねるととてもシリアスな舞台のように思えてしまうが、この円形ステージにはカラフルなおもちゃ、金属でできた箱、机が散らばり、全体的な雰囲気が可愛い。モノたちが様々なシーンで次々と役割を替えて登場するのが印象的だ。

 

 

 

おままごとのように何かの「つもり」で登場人物たちがモノを操ると、鮮やかな日常が映し出される。机を逆さにして中に立つと電車になり、箱は電子レンジになり、縦に積まれるとマンションになる。美術、脚本、演技の力でわたしたちの想像力が拡張されていく。くるくる変わる視覚的な面白さとリズミカルなセリフ回しに、個別具体的な円佳の現実の辛さと並んで、「誠也が好き」である日常の愛しさも見えてくる。

誠也が声を張ると、知っているはずの単語が新しい意味を帯びる。すれ違う人の物真似を誇張して何度もする彼の滑稽さに思わず笑ってしまう。この人が可愛い、と思える毎日は楽しい。日常とは本当は、愛すべき可愛いシーンと残虐さが並行しているものなのかもしれないなと、舞台と対峙しながら目がパチパチした。

そして物語は突然ぐっとファンタジーの色を帯びる。

 

ある日れんくんの家でいつも通りシッターのバイトをしていると、大地震が起き、火災に見舞われる。円佳はホテル代の手持ちがなく、避難先も見つからない。がらんとしたコンビニに食料はなく、水も人数分しか確保できなかった。不安になるれんくんはお腹が減った、忘れ物を取りに行きたいと次々と要求を言い、円佳をぬいぐるみの手で思い切り何度も叩く。

想像力を携える余裕があれば、見たことのない風景に怯える子どもが守られるべき存在であるともちろん理解できるが、円佳にはもうそれができない。

 

会社を通してバイトの延長を申し出てくれないれんくんの両親。お金を払わずコンビニから盗んだ人があり付ける食料。声の大きい人たち、空気を支配することができる人たちを中心に社会がうまく歯車を回すほどに自分に降りかかる不幸が、災害を前にあまりにも大きく見え、自分だけを被害者にしてしまいたくなってしまう。蓄積した得体の知れない負ばかりを背負う。円佳は勢いに任せてその場を立ち去ろうとするれんくんを放って、ついに遭難させてしまった。

 

ふらふらする足元を引きずって円佳が行く先は、やはり誠也の家だった。思考ができないことで最悪の方に自ら飛び込んでしまう背中がリアルで、声が漏れそうになる。れんくんを探すことも、誠也が身体を求めてくることに正しく拒否することもできない。迎えた朝、気怠く誠也と過ごす部屋に、5歳だったれんくんが43歳の姿になって現れる。円佳はれんくんが「ぽに」になってやって来たと誠也に説明する。

 

劇中ではっきりとは説明されなかったが、「ぽに」とは生死を彷徨った人物が肉体から離れて誰かのもとに現れる、生き霊のようなものだと思う。ぽにの付いた女性にできた子どもは、ぽにに奪われてしまうという言い伝えがあり、お払いをする習慣がある。しかし、お払いが成功すれば代償があるという。

たったこれだけの設定を置くことで、円佳は考えうる最悪の形で自分の行動に決着をつけることになる。実態のわからない「ぽに」が付いた円佳は巻き起こる展開に次々と飲み込まれ、最終的にはれんくんが息を取り戻す代わりに視力を失くした。そして避妊をしない性行為の責任として、おそらく妊娠している。

 

彼女は物語の最後の最後に誠也の言葉に丸め込まれずに向き合うことになるが、すでに蓄積されたものが多すぎていた。「拒めなかった」「気付けなかった」責任も負っていかなければならない。ぽにという不思議な存在をとおして具現化された彼女の負ったものたちはあまりにも大きいが、これはただのファンタジーでなく、現実にきっとあることだろうと思わされる説得力に、身体の奥にズシンと残るものがあった。

 

初回に鑑賞した直後はとても面白い!とただ興奮した。平原テツさんの演じるれんくんはどう見ても5歳児であり、43歳であり、実体の掴み取れなさに何度も笑みがこぼれた。円佳役の松本穂香さんの蓄積する負を背負う演技、どうしても好きになってしまう誠也を演じる藤原季節さんの実存感が素晴らしく、役者の皆さんの集中力の中で交わされた技を間近で観た経験の大きさが勝っていたんだと思う。

 

電車に揺られながら、お風呂に入りながら、頭の中を過ぎる表情やセリフをなぞっては、どんどんとショックを受けた。あれは自分の話なのかもしれない。あれは、あのときは、と思い当たることがどんどんと見つかる、日常と地続きの物語だった。

 

冒頭でしつこく例に出したのだけど、もちろんわたしは「イヤホンを贈る男に気を付けろ」と言いたいわけではない。人はこうやって、目に見えるか見えないかくらいの細やかなニュアンスを使って責任を取らないというポーズをし、受けた側は傷ついてないフリをし、湧いてきた負の感情をどんどん蓄積させていく。そして本当は傷ついているということに気が付かなくなっていく。自分に価値をつけるために、目の前の空気の一部になるために、相手の機嫌を見て喜ばせることさえしてしまう。そしてまた背負っていく。

 

物語の中で円佳と誠也は「なぜ付き合ってほしいと言っているのに答えてくれないのか」について議論になった。どう考えても間違ったことを言っていなかった円佳は、語気だけを強めて自分の主張が正しいと持ち込む誠也の声に怯え、少しトーンを下げた「イヤホン持ってる?Bluetoothの。あげるわ」の声に「やったあ」と喜んでしまった。何となくほだされて主張をやめ、自分のせいで嫌な気持ちにさせてごめんなさいと謝りさえした。直接的に同じ経験ではないが、身に覚えがある。

 

誰かや社会に対して、嫌だ、そんな扱いされたくない、と当たり前に思えていた頃もあった。「イヤホンは嫌」と唱えていた頃は若くて、無敵だった。彼女を痛めつけた男のことをクズ!!!!と言い切れていた。でも大人になった今、わたしは誠也の気持ちも分かる。うまく自分と社会が繋がらない苛立ち、その現実と向き合わないように先延ばしにしてしまう色んなこと。そして彼は彼なりに、多分円佳のことが好きなのだ。

 

自分の身に起こったらどうなるだろうと思うと、自分の咄嗟の反応に強く自信を持てない。あまりにも疲れていたら、あまりにも落ち込んでいたら、円佳のように負を蓄積してしまうのかもしれない。でもそれでも、そうして受け入れてしまうことが取り返しのつかない何かを引き寄せ得ることもちゃんとわかる。

 

具体的な誰かとのコミュニケーションでも、もっと大きな出来事に対する反応でも、向き合う相手の怖い目と向けられた背中にすがらないでいたい。鈍感力が育つ前に、自分で決めることを諦めたくない。わたしの視界もいつまでも小さくて、抜け出せない場所にいるとしても。

 

takumitheater.jp

 

engekisengen.com

 

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『東京の生活史』のインタビュー聞き手として参加しました

2021年9月21日発売 岸政彦 編 『東京の生活史』(筑摩書房)は、東京出身の人、東京在住の人、東京にやってきた人150人の人生の語りが並ぶ書籍です。わたしは150人のインタビュー聞き手の1人として参加しました。むっちゃうれしい。

 

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デカい。2段組み1216ページ150万字、6.5センチの厚み。鈍器本とも呼ばれています。

各人の語りの一部の抜粋によるタイトルが目次に並びます。これが圧巻で、目次だけで、え、ちょっと泣いちゃう、となる。ページの下部で試し読みもできます。

 

www.chikumashobo.co.jp

 

あとAmazonのページの圧がウルトラCなので見てほしい。こんなに黒いAmazonのページは見たことがない。

 

www.amazon.co.jp


 

監修・岸政彦先生の「生活史(個人の生い立ちの語りから社会を考える、社会学における質的調査法のひとつ)」というご専門の分野を冠にしたこのプロジェクトの聞き手が公募であると知り、専門の社会学者でなくとも「人は人の人生に耳を傾けられる」ということに、岸先生がこんなに信頼を置いているのだということだけで目頭が熱くなりました。何日も応募文と向き合いながらえいやとメールを送りました(わたしは講習会に参加していたりするほど岸政彦ファンですが、ご本人に悟られぬ文章にすることに本当に苦労した)(いや別にバレていいんだけど照れるじゃないですか)。

応募者殺到のため選考を経て当初は100人の予定だった聞き手が150人に増やされたという経緯を説明会で伺いましたが、それもすごい話。

岸先生と編集者の柴山浩紀さんのおふたりで150人を相手に本を作ってくれたことを改めて考えると、こちらがお金を払わなくていいのかなという気持ちになってきます。150人の様々な年齢・職種の方相手にメールのやりとり、わたしだったら発狂します。インタビューにあたっての研修会、個人的な相談ができる相談会含め10回くらいはリモートで考えや悩みを共有できる機会がありました。対話しながら作ってくださったし、語り手の選定から編集から全てを預けて聞き手を信頼してくださったことも本当に素敵な体験でした。

 

東京に生きた人の人生の話を集めたこの本が「東京とは何か」「人生成功の秘訣とは」みたいな言葉に終結し得ないことを150人の語りで実現させたというのが壮大すぎて、ちょっと言葉になりません。人の人生は選択の連続でもあるけれど、それに自覚的でいられることも、「選択しないままここまで生きてしまった」という諦めを含むまま揺られることもある。こんな当たり前のことも、この物理的な質量で見せてもらえることの圧倒的な説得力があると思いました。

わたしは3時間くらい(追加で聞いたのも含めると5時間ほど)のインタビューをし、書き起こしは3万5千字を越えていて、それを1万字にするということに2か月くらい悩みました。こんなに悩みながら削らなければならなかった人生があって、さらにこの質量があると思うと、やっぱり人はすごいと思います。

 

自分が書いたものが含まれる本を発売日までに読みきれなそうだというのもウケます。笑ってる場合でもないんだけど、一人一人の話が本当に「人生」の一部と分かる凄まじさで、もったいなくて先に進めなかったりします。一行の中のミッシリとした言葉の選ばれ方に温度や匂いまで含んでいる感じがして、身が引き締まる思いにもなります。

そして東京が好きだなあと思います。ランドマークのような東京以外の場所にも、東京が含まれてるような感じがします。どこにいても風景の変わらないような駅前、そこに佇む人にふと惹かれるような感覚は東京だなあと思うのです。色んな階層、文化層が背景にあることを無言で了承しあいながら暮らす人との距離感。映画『くれなずめ』や『あのこは貴族』を観たときに感じたことと近いかもしれない。

door-knock.hatenadiary.jp

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先日語り手の方に本を届けることができました。

今回の語り手のことを何かの形で残したいとずっと思っていました。身近にいるけれど憧れていたので、改めて人生の話を教えてほしいなんて無邪気さがなかなか持てなかった。取材とかこつけて話を聞く勇気になったことも自分にとって大きな出来事です。

本を届けた日から頻繁に連絡をいただきます。その方のほうがグングン読んで「この人最高だね!」を見つけてLINEしてくださって、その話から派生し思い出すことを語ってくれて、すごいです。こういうことが起こっていくんだなと、書籍の起こすコミュニケーションの面白さを感じます。

 

わたしは趣味でつながっている方の感性がとても好きなので、そういう人たちのいる場所で届くといいなと思ってこれを書いているんですが、匿名性の担保を考えながらつくったので、この文章と本を読んで何か分かってしまっても、できれば心のうちに留めてもらえたらうれしいです。

読み進めていくうち、その人について全然分からない情報がそのままになってたりもして、それがすごく素敵だと思いました。人に分からないことは絶対あるし、分からないままにしてあげたいこともある。

実存を信じがちで、どこか「何かのためになること」に思考が走ることが多かった自分の一部が剥がれおちていくような気持ちになりました。人の人生に無理に良い言葉をつけたりしなくても、人生はいいに決まってるもんなあ。素敵な本です。